こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、前回と前々回の続きです。なのでその2つの記事を読んでない方は、読んでからにしてください。
ジョン・レノンのことについて書きます。
さて前回までは、ジョン・レノンと、ジュリア・レノンやジュリアン・レノン、シンシア・パウエルやオノ・ヨーコとの関係や出来事について書いてきました。
今回は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの違いなどについて書いていきます。
今回で、「大人になりきれなかったジョン・レノン」シリーズはおしまいです。
さて、シンシアとの間に色々あり(詳しくは前回の記事に書いてあります。)、彼女と離婚をして新しくヨーコを妻に迎えたジョン。
彼が子持ちでなければまだ話は小さく済んでいたかもしれませんが(それでも浮気はダメだけどw)、ジョンとシンシアの間には既に、ジュリアンという名の1人息子がいました。
当時のジュリアンはまだ5歳。幼い子供をほっぽり出して別の女性に走ったわけですから、当時のバッシングは大きかったのでしょうか。それとも、大物同士の結婚として、大勢の人々から祝福されたのでしょうか。
当時私は産まれていないので、彼らの結婚がどれほど大きなものとして世界で捉えられたのかは分かりませんが、おそらく後者だったと思います。
シンシアは特に有名人というわけではないし、あまり表に出ようとしない控えめな女性というイメージなので、もしかすると、彼女を知らない人も多かったかもしれません。
そんなシンシアと比べて、ヨーコには強烈な個性を放つアグレッシヴな女性というイメージがまつわります。前衛芸術家のヨーコは、そちらの世界では既にかなり有名な人物でしたから、(ジョンほどではないとしても)有名人同士の結婚ということで、世界はしばしその明るい話題で持ちきりだったのではないかと思います。
そんな明るい結婚式の裏で影を落としていた、2人の人物を忘れてはなりません。
そう、ジョンの前妻シンシア、そして2人の息子ジュリアンです。
世間はジョンとヨーコの結婚で盛り上がり、この2人は忘れられた存在となっていたでしょう。
ジョンさえも見捨てたその小さい不幸な家庭を、ただ1人気にかける人物がいました。ジョンの所属しているバンドで彼と活躍を繰り広げており、かつては彼の学生時代の親友でもあった、ポール・マッカートニーです。
ジョンとシンシアの離婚後、シンシアを気遣って彼女の様子を見に来てくれたのは、ビートルズのメンバーでポールだけだったと彼女は語ります。
これを聞くと、ポールは本当に人間的に完成されているというか、慈愛に満ちた心優しい人物だったのだなと思います。
もちろん、ポールが全て完璧というわけではないし、ジョージやリンゴも優しい性格なのだけど。ジョージとリンゴは、他人の家庭にはあえて首をつっこまない思いやりを貫いたのかもしれませんしね。
それでも、愛するジョンに無理やり別れを突きつけられてどん底に落ちていたシンシアは、ポールの気遣いにかなり心救われたのでしょう。
さらにポールは面倒見が良く、実父のジョンよりも、よくジュリアンの遊び相手になってあげていたそうです。両親の離婚にひどく落ち込んでいたジュリアンを励まそうと、「Hey Jude」を手がけたのもポールです。
父親のいない少年時代を過ごさざるを得なかったジュリアンに、ありったけの父性と愛情を注いでくれたのが、ポールだったのですね。
ジョンに捨てられて心に傷が付いていたシンシアとジュリアンには、ポールが天から降り立った聖母マリアに見えていたことでしょう。
そんな、グレていてもおかしくなかった家庭環境で育ったジュリアンが、広い心を持った「大人」になれたのは、間違いなくポール、そしてシンシアの愛情のおかげです。
そしてそれは、ポールとシンシアが「大人」であるということも示しています。
自分の気に入った女性(安心)を追い求め、家庭を捨てて逃げたジョンの思考回路は、正直嫌なことからひたすら逃げる幼い子供と変わりません。そんな「大人ではない」父親と衝突したりして傷付く前に、ジョンとジュリアンは離れて正解だったのかもしれません。
もう1つ、ジュリアンがグレた少年にならなかった理由があります。
それは、シンシアが再婚をしたことです。シンシアはジョンと別れた後でも彼を愛し続けていると公言していたほどですから、彼女が望んで選んだ再婚ではないでしょうが、幼いジュリアンが父親がいないことでさみしい思いをしないようにと、自分の気持ちよりもジュリアンの将来を優先させたのではないかと思っています。
そしてこれは推測ですが、おそらくジュリアンの新しい父親も、シンシアが未だジョンを愛していることを分かっていたのではないでしょうか。先も述べたように、シンシアはそう公言していますし、いつも同じ屋根の下で生活していると「まだジョンを好きなんだな」と感じ取れるものだと思います。それを知った上でシンシアと結婚したとすれば、その男性は非常に心が広い「大人」ということになります。
そういうことにして話を進めると、ジュリアンは「大人」な両親と「大人」なポールの愛情をたっぷり受けて、伸び伸びと育っていけた可能性が大きいです。そりゃ立派な「大人」になれるわけです。彼は数年前、「父(ジョン)をようやく許すことができた」と語っていました。いくら歳月が過ぎたと言えど、実の父親に捨てられた心の傷というのは、なかなか癒えないものです。それでも、そんな破天荒な実父を許せるというのは、心が大人でないとできないことです。この発言をした当時のジュリアンは46歳。ジョンがジュリアンと全く同じ立場に置かれていたとして、かつ生き続けて46歳を迎えていたとして、果たしてその頃のジョンは、自分を捨てた実父を許せていたでしょうか。高確率で、答えはNOでしょう。なぜならジョンは、「まだ子供だから」。
だけどこれまでの話を普通に考えると、不思議なんですよね。
そう、なぜジョンはグレて、ポールやジュリアンはそうならなかったのか。
どういうことかと言うと、ジョン、ポール、ジュリアンの立場は、端的に言ってしまえば同じ(親がいない)ということです。3人とも、育った家庭が普通でないのです。
普通でないと、その分ストレスが溜まるはずです。ジョンの場合、そのストレスが顕著に現れていますね。その結果が、あのひねくれた、皮肉屋な性格というわけです。
ところが、ポールとジュリアンはどうでしょう。比較的常識人に育っていると思いませんか?それについて考えてみました。
ジョンとポールの共通点は、幼少期に母親を亡くしていること。どちらの人生にも影響を与えており(特にジョン)、母親をテーマに書いた歌に、ジョンは「Mother」や「Julia」が、ポールは「Yesterday」がある。
では次に、ジョンとポールの違う点についてまとめましょう。
ジョンとポールの違う点は、「母親の亡くし方」と、「母親を亡くした年」です。
ジョンとジュリアの別れは、とても複雑なものでした。アルフレッド以外の男性と同棲した上、ネグレクトで幼いジョンを見捨てたジュリア。やがて2人の間に交流が生まれるも、ジュリアは交通事故で命を落としてしまいました。
一方、ポールと彼の母親、メアリーの別れはどうでしょう。メアリーは、ポールが14歳のときに癌で亡くなります。既に物心はついているし、ネグレクトもされていません。ジョンとジュリアの別れに比べて、非常にあっさりしていると思いませんか?
ジョンとポールの最大の違う点は、「複雑か否か」です。
ポールは確かに幼い頃に母親と離れなければいけなかったけれど、幼いと言っても青年に成長していっている年齢だった青年に成長していっている年齢だったし、何より死因が癌という病なら、その別れは避けられない、仕方のないものだったでしょう。
しかし、ジョンは違います。本当に幼い、下手するとまだ物心ついていないときに、「母親と別れる」というトラウマを植え付けられてしまったのです(しかも2度)。何より1度目の母親との別れは、避けられるものだったでしょう。ジュリアが不倫をしなければ良かったのです。2度目の交通事故は、ジュリアが自分の意思では避けられない、仕方のないものだったとしても。
そのことが、ジョンの人生や考え方に、暗い影を落としている気がします。
簡単に短くまとめると、
・ジョンは母親を早い内に2度亡くしており、加えてその別れの1度目は避けられるものだった
・ポールは母親を物心ついてから亡くしており、死因は癌と避けられないものだった
ということです。
そして、ジョンとジュリアンの共通点は、幼少期に、父親が仕事のため家を開けることが多かったこと。家庭環境がいささか複雑な少年時代を過ごしたという点も同じです。
ジョンとジュリアンの違う点は、前回のブログ「「大人」になりきれなかったジョン・レノン 〜シンシアとヨーコの違い〜」にまとめているので、長くは書きません。
簡単に短くまとめると、
・ジョンは父親が忙しく、母親にも構ってもらえなかった
・ジュリアンは父親が忙しくても、母親に優しく育てられた
ということです。
ジュリアンのところにもう1つ付け足しておくと、「ポールという存在があった」というのも、かなりジュリアンの心の支えになったと思います。
先ほどジュリアンがグレなかった理由を書きましたが、そこにはポールのおかげ、みたいなことを書きました。これは本当に大きい。お父さんがいない代わりに、お父さんと同じくらいの年齢の、頼りになって遊んでくれる男の人が、家に来てくれるんですよ?その上、自分を励ますために作曲までしてくれる。そういう意味では、ジュリアンは幸せ者だったのではないかな。
ジュリアンにとってのポールは、ジョンにとってのミミおばさんによく似ているな…とも思います。ミミおばさんがもう少し優しくてポールみたいな性格だったら、ジョンの性格もまた変わってたのかな。
それも含めて、ジョンはポールに惹かれたのかなという考えが一瞬頭をよぎりましたが、さすがに考えすぎかもな。
…それにしても…ジョンと他2人を比べてみると、ジョンはあまりに不毛ですね。ジョンはグレても仕方ない、というか、グレない方が珍しい。幼少期の影響って大きいですね。
まあ要するに、ジョンもポールもジュリアンも家庭環境でつらい思いをしたけれど、ポールとジュリアンには救いがあったというわけですね。
いや、ポールに救いがあったと書くのはおかしいかもしれないな…「救い」というより、「諦め」かな。ポールに起きた出来事は、まだ諦めのつくような、仕方ないことだった。
そう考えるとジョンは本当に救いがないというか…ミミおばさんに引き取られても厳しく育てられるし、ジョージおじさん(ミミおばさんの夫で、ミミと一緒にジョンを育ててくれた人です。)も亡くなってしまうし…。
細かいところを比べたらまた違うかもしれませんが、端的に言えば、ジョンは「子供」で、ポールとジュリアンは「大人」です。その理由は、ここまでこの長ったらしい文章を読んでくれた方なら、きっと分かるはずです…。
でも、私はこう思います。
「ジョンは、大人になろうとしていたのだろう。」
それは主に、ヨーコと出逢ってからのジョンです。ヨーコ(=安心できる場所、心が安らぐ相手)を手に入れたジョンは、落ち着いた心で一歩一歩階段を登っていくように、いくらか成長していったように見えます。(なんか上から目線だけどw)平和活動をしたり、ヨーコ以外の女性と関係を持ってしまったときも反省したり、ショーンの育児に専念したり。
その時代に生きていなかった人間が何を言っても、説得力がないことは分かっている。分かっているけれど、分かっているからこそ、どうしても言いたいことがある。
彼は、ジョン・レノンは、間違いなく「大人」になろうとしていました。平和活動をしていたのは偽善者ぶっていたからだ、なんて言う人もいるかもしれない。そしてそれは、本当かもしれない。それでも、ほんの少しは「成長したい」という想いがあったはず。CDのメロディ越しに、スマホの画面越しに彼を感じると、そんな考えが浮かんでなりません。
そして、これはいつまでも言っていても仕方ないことなのだけれど、もしもまだ生きていれば…本当に「大人」になれていたかもしれません。
平和活動にさらに力を入れていたかもしれない。シンシアに謝っていたかもしれない。もしかしたら、ジュリアンにも謝って、親子仲が戻っていたかもしれない。
「こうなっていれば」と「かもしれない」と「もしかしたら」は、口にしたってどうにもならない言葉Best.3なんですけどねw
それでも、やっぱり考えてしまう…彼の死は色々な意味で、あまりに早すぎた。
だけど、嘆いちゃいられない。ジョンは大人になりきれなかったけど、それを事実として受け止める他ない。それもひっくるめてジョン・レノンなんだ。
そう、自分に言い聞かせることにします。
…そろそろこの話に幕を下ろしたいと思います。
「大人」になりきれなかったジョン・レノン。それでも、最期まで人間味溢れる魅力を失わなかった彼に、遠くからでも精一杯の愛情を届けたいです。
もしここまで読んでくれた方がいれば、本当にありがとうございました。
それでは、さようなら。