こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、前回の続きです。なので前回の記事を読んでない方は、読んでからにしてください。
ジョン・レノンのことについて書きます。
さて前回は、ジョン・レノンと、彼の実母ジュリア・レノンとの関係や出来事について書きました。
今回は、ジョン・レノンとシンシア・パウエル、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの関係などについて書いていきます。
世界的に有名なバンド、ビートルズの人気が絶頂だった1962年、ジョンは学生時代の同級生シンシア・パウエルと結婚します。
ジョンが結婚に踏み切った理由は、シンシアが妊娠をしたため。いわゆる、「できちゃった婚」です。
それでも、ちゃんとお互いを愛し合い、ジョンもきちんと責任をとる形で結婚したそうです。
そして産まれたのが、ジュリアン・レノン。
母親ジュリアへの想いが色濃く出ている、そんな名前だと思います。
しかし、その頃のビートルズは大人気。ジョンは仕事に追われる日々の中で過ごしており、結婚後もあまり家に帰ってこなかったそうです。
仕方がないとは言え、子供が産まれたばかりなのに夫は不在のことが多いなんて、シンシアはさぞ心細かったろうなと思います。
と、ここまで書いて、私は気付いてしまったのです。
「あれ…?ジョン、アルフレッドにそっくりじゃない?」
と。
これに気付いたとき、正直ゾッとしました。
ここから少し話がズレますが、ジョンに関係があることなので、そして、後の話に少なからず繋がってくるので、書かせてもらいます。
(ここらへんは前回のブログを読んでいれば分かるので、詳しい説明は省略します。)
そう、ジョンがそれに気付いていたか否かは別として、彼は実父アルフレッドと同じ運命を辿っていたのです。それは同時に、シンシアをジュリアと、ジュリアンを幼き日のジョンと、同じ運命を辿らせていることにもなります。
仕事で忙しくて家を空けているジョンは、あの日のアルフレッド。
そんな彼を、不倫もせずに健気に想い続ける…つまり、「ジョンにとっての理想のジュリア」がシンシア。
そして、母親シンシアから大きな愛を受けて育っている…つまり、「ジュリアがいて、ミミおばさんがいないジョン」がジュリアン。
こう考えていくと、ジョンがひねくれた理由も何となく腑に落ちます。
父親が家におらず、母親に捨てられ、厳格な叔母に引き取られ、恐怖の選択を迫られ、選んだ末に再び捨てられ、ヨリを戻せたと思ったら、本当の意味で母親を亡くしてしまった「あの日」のジョンと、
父親が家におらず、母親に育てられ、母親に愛され、捨てられることなく、幼いうちに母親を亡くすこともなかった「このとき」のジュリアン。
2人の根底の「立ち場」は同じだけれど、そういう細かいところまで見ていくと、実は共通点は「父親が家にいない」という1つしかないことに気付きます。
シンシアについて調べると、彼女はかなり穏やかで、優しい性格だったことが伺えます。彼女こそが、ジュリアンがひねくれなかった理由ではないでしょうか。
幼き日のジョンには、シンシアのように、女手ひとつででも支えてくれる母親が、必要だったのかもしれません。
その母親「のような」存在がミミおばさんだったのかもしれないけれど、あくまで「のような」であって、血の繋がった母親が自分を支えてくれているというわけではないし、何よりミミおばさんはジョンに対して厳しかった。
それは、ジョンとジュリアンの違いであり、ジュリアとミミおばさんの違いであり、そして、ジュリアとシンシア、ミミおばさんとシンシアの決定的な「差」だった。
これを見ると、人間の性格の半分以上は、幼少期の母親との関係、母親の性格や影響で決まるのかもな、と思います。
ジョンは少年時代、母親から充分な愛を得られなかった。だから不器用で、シンシアやジュリアンへの愛の注ぎ方も分からなかったんじゃないかなと思います。
ジョンとジュリアンの比較についての文章が、長くなってしまいました。
とにかく、ジョンとアルフレッドはダブって見えるな、という話でした。
ここで一旦ジョンとシンシアの話は終え、ジョンとヨーコの話に切り替えます。
ヨーコとの出逢いのエピソードはかなり有名なので、おそらく知らない人の方が少ないと思いますが、一応書きます。
シンシアとの結婚から約5年後、ジョンは友人に誘われ、日本のとある前衛芸術家の個展に足を運びました。
その頃のジョンは、ビートルズの絶大な人気についていけず、少し疲れているようでした。もしかしたら、シンシアへの想いやジュリアンの将来への考えなども、色々抱えていたのかもしれません。
建物の中を何となくうろつくジョンの目に、1つの脚立が飛び込んできました。
狭い部屋の真ん中に、白い脚立がただポツンと置かれています。登りきった所で、天井からぶら下がっている虫眼鏡を用いて、天井に描かれている作品を見る、という、少し変わった作品のようです。
何か、ジョンの興味や好奇心を引くものがあったのでしょう。脚立を登って作品を見ようと、ジョンは決心しました。
登りきった所で、ジョンは虫眼鏡を天井に向けました。何か文字が書いてあるようですが、小さすぎて、黒い点々が並んでいるように見えるだけです。
身を乗り出してのぞき込んでみると、そこには一言、たった一言、はっきりとこう書かれていました。
「YES」
この経験を、後にジョンはこう語っています(うろ覚えですが…)。
「YESという言葉は、すごく前向きだった。それで僕は安心したんだ。もしも書いてある文字が、NOとかFUCK YOUとかだったら、僕はきっとそんなふうに思えなかった。」
「安心」。これこそ、ジョンが究極的に求めていたものでしょうね。色々な人に捨てられたり振り回されたり、忙しすぎるスケジュールの上をがむしゃらにひた走ったり…おそらく心を休める暇もなかったジョンは、この2文字を他の人よりも必要としていたのです。そしてジョンにとっての「安心」のメタファーが、ヨーコだった。
それならジョンにとってのシンシアは何だったのかと言うと、おそらく「母親」だったのではないかなと思います。
その考察を思いついたとき、自分でもびっくりしました。
ジョンが重度のマザー・コンプレックスということは知っていましたから、シンシアには母性を感じられず、母性をたっぷり持っていたヨーコに惹かれたのだろう、と勝手に思っていました。
しかしこうして書いていると、自分を健気に想い続けてくれて、ジュリアンにも愛情をたっぷり注いであげられるシンシアは、まさに「母性」の象徴ではないかと思えてきました。
では、ジョンはマザコンなのに、なぜシンシアではなくヨーコに惹かれたのか?そんな疑問が浮かびました。
それはおそらく、ジョンは母親に「愛情」を抱いているとともに、「トラウマ」も同時に抱いているからでしょう。
ジョンは幼い頃、ジュリアに2度置いていかれました。1度目は、彼女が不倫をして、自分を育児放棄したとき。そして2度目は、彼女が肉体的に亡くなったとき。
どちらもジョンの深い心の傷になっており、そしてどちらも、母親であるジュリアが大きく関わっているのです。
母親にある種の「トラウマ」を抱いていたジョンは、「母親」のメタファーであるシンシアに対して、畏怖の念を抱いてしまったのではないでしょうか。
シンシアはすごく優しいお母さんだけれど、ジョンにとっての「母親(お母さん)」はあまりに大きすぎた。心に傷を負っているジョンは、自分を2度捨てて2度離れていったお母さん(ジュリア)と、自分の妻であるはずのシンシアを、心のどこかで重ねてしまった。それで、お母さん(シンシア)にまた捨てられる前に、自分が彼女を捨て、「母親」から離れ、安心(ヨーコ)に走った、と。
さらに、ジョンは自分の息子に「ジュリアン」という名前を付けてしまっていました。ジュリアへの想いと、ジュリアンへの愛情を込めて名付けたのでしょうが、ジョンにとって「ジュリア」という名前はトラウマだったでしょう。
おまけにジュリアンは、「ジョンがなれなかった、ジョンがなりたかったジョン」です。
そんな息子ジュリアンに、もしかしたら複雑な想いを抱いていたのかもしれません。きっと嫌っていたのではなく、シンシアやジュリアンに色々なものを見すぎてしまって、どう接したらいいか分からず戸惑っていたんじゃないかなあ。
あくまで考察ですが、これがジョンにとっての、シンシアとジュリアンとヨーコだと思います。
では、ここで一旦切り上げます。
前回は、「ジョンとジュリア」について書きました。今回は、「ジョンとシンシアとジュリアン」、「ジョンとヨーコ」について書きました。
次回は、前回と今回の記事を元にして、さらにジョン・レノンという人間について迫っていきます。ポールとシンシア、ポールとジュリアンについても書くつもりです。
というわけで、続きます。