超スローカーブ といえば・・・
中日 今中 慎二さん です!
1990年代を代表する左腕は、今中さんじゃないでしょうか?
大阪桐蔭高校の前身、大阪産大高校大東校舎に進学し、1年次に秋府大会で、PL学園戦に先発。
後のチームメイトになる、立浪和義率いるチームに0対1で敗退。この時の好投がNPBスカウトから注目を集めるようになりました。
甲子園には出れなかったものの、1988年 ドラフト1位で中日ドラゴンズから指名され入団します。
入団1年目の9月には、広島カープ戦で北別府 学投手と投げあい、プロ初勝利を挙げます。
1990年には先発ローテーションに定着し、10勝。1991年はオールスターゲームに出場。
これから活躍が期待されていた、1992年
ピッチャー返しのゴロ打球が左手首に当り、骨折。実は、この怪我がきっかけで、あの武器を習得します。
手首の痛みがなく投げられるのがカーブだったため、リハビリがてらカーブでの遠投をやり続けました。
そして、復帰した試合は、阪神 戦。先頭の和田 豊選手に投じたスローカーブは、当時の正捕手 中村 武志 選手をも驚かせました。
1993年には、17勝。最多勝利賞、最多奪三振賞を受賞。
そこから、1996年まで毎年10勝以上 ドラゴンズの左のエースとして活躍しました。
1996年から、左肩の痛みにより、戦線離脱。
そこからも1軍のマウンドを踏むこともありながらも、全盛期のような投球ができず・・・。
ドラゴンズがセリーグ制覇を成し遂げる1999年に手術に踏み切りました。
翌2000年 7試合に登板したものの、気力の限界から10月に引退を決意しました。
「 悔いはあります。」
11月10日の引退会見で今中さんがおっしゃった言葉です。
実働12年で、233試合登板 91勝 69敗
怪我さえなければ、もっともっと活躍していたでしょう。だからこそ、「悔いはあります。」
引退後は、2012年、2013年にドラゴンズの投手コーチ。
現在は、解説・評論家活動をされています。