物心ついた頃から通っていた、自転車で数分の所にある床屋『B』。
30年以上前から夫婦で経営している。
中学に入った頃から、仲のいい友達と別の床屋に通うようになったため、しばらく離れていた。
新しい床屋には、身体を壊す前の2000年まで通う事になる。
以降は症状の事もあり床屋には行かず、髪は自分でバリカンを使ったり、母に切ってもらったりしていた。
それが06年まで約6年続く。
でもそれ以降から現在まで、再び最初の床屋『B』に通うようになった。
理由は、以前より体力を取り戻してきた事や、母の負担をなるべく減らしたいと思ったため。
十数年ぶりだった。
ブランクが長かっただけに、少し緊張しながら中に入る。
中は大分リフォームされていた。
洗面台からなにもかもが違う。
けど妙に懐かしい。
あの頃と同じように、何故かテレビ番組はいつもテレ朝。
だいぶ久々だが、ちゃんと自分の事を覚えていてくれた。
「◯◯君だよね」
成長目まぐるしい時期に離れていただけに、すごく嬉しかった。
そして散髪中に変な誤解をされぬよう、始めに当時の症状を正直に話したのを覚えている。
詳しく話すと長くなるので、経緯は省き簡潔に。
要は身体を壊した事と、長くじっとしていられない事を話した。
数分ごとに少し姿勢を変えたり、たまに立ち上がったりしてもいいかなど。
元々優しいお二人だったので、ちゃんと理解してくれた。
大変だったねぇ、と。
久々の床屋での散髪だったが、問題なく終える事が出来た。
以降、節約のため、通うペースは四、五カ月に一度ぐらいと長いスパンだった。
切る時はバッサリ切り、前髪が鬱陶しくなるぐらいまで伸ばすという繰り返し。
それでも毎回髪型はもちろん、症状の事もちゃんと覚えていてくれた。
相当数の常連客がいる筈なのに、そこはさすがだなと思った。
以降、持病の経緯や両親の死、家庭事情などほんの少しずつであるが、聞かれた事は話すようになっていく。
基本的に今の自分は、持病や家庭事情などの悩みはブログ以外、人には殆ど話さない。
理由は色々あるが、一番はあまりにも複雑で多くの問題を抱えているから。
だからどこから話していいかわからないし、一部では全体像が伝わらない。
かといって、多くをわかってもらうには結構な気力がいる。
身内や民政委員など、直接今後に関わるような人なら別だが、それ以外の人には、とにかく億劫を通り越して苦痛になってしまう。
それは親切な、この床屋のおじさんおばさんに対しても同じ。
今は何度も書いてきた通り、頭も回らない。
ある時期から体調の影響で目を瞑る事も多くなり、そういう雰囲気(あまり会話はしたくない)を察してか、または体調の事を気遣ってか、以前ほどは話しかけて来なくなった。
多少の気まずさはあるものの、皮肉にも自分にとっては、それが気楽でいい。
だからこそ、今でもここの床屋にお世話になっている。
でもある時、本気で体調を心配され、何度も話しかけられた事があった。
それは珍しくおばさんが担当してくれた時の事。
自分は床屋に行く時間帯は、必ず夕方5時半以降と決めている。
理由は、かなりの確率で待ち時間無しで出来るから。
椅子に長く座れない自分には、ほぼ客がいない絶好の時間帯で、いつもおじさん一人か、その息子らしき人の二人が担当している。
毎回奥から包丁をさばく音が聞こえるので、おばさんはきっと家事の時間帯なんだろう。
その日おじさんは不在だったらしく始めから担当してくれた。
おばさんとは久々にお会いした初日こそ長くお話したものの、以降はたまに顔出しした時に挨拶する程度。
近年はマジマジと顔を見られた事はない。
散髪台の椅子に座るやいなや、まず顔色と顔のむくみを心配された。
おじさんの時にも何度か言われたたが、おばさんは、なんだか本気で心配している。
まあそれはそうだろう。
ここ数年、土色のような顔色はもちろん、頬も思い切り痩けている。
肌や髪も異常に乾燥していたり、とにかく普通ではない。
だいぶ前だが前の民政委員の人に初対面時、いきなり「大丈夫か⁉」と言われたほどである。
最初何を言ってるんだと思ったけど、きっと病的な顔を見てそう思ったんだろう。
話しを戻して、次に左耳から頬にかけてのしこりも指摘された。
「ここに何か出来てるね、その周りも腫れてる。大丈夫かい⁉」と。
数年前からその辺のしこりはわかっていたが、今は他人が見てもはっきりわかるぐらい周辺も膨れ上がっている。
実際触ると硬くグリグリした物が左頬全体を覆っている。
以前書いた眼球突出気味な事も心配され、顎下や首周りのしこりも、顔剃りの時に気付かれた。
「体調本当に大丈夫なのかい⁉心配だねぇ」
実際過去記事通り胸から喉、今は左耳の奥まで常に押し潰されるように苦しい。
何かが硬くなってるような、かゆみや炎症も伴うような苦しさ。
でもそれらや本当の体調の事を言ってしまうとまたまた面倒になる。
上述通り、病院に行けない理由などを話す気力がない。
この見た目で全く大丈夫というのも嘘くさいので、体調はやっぱり波はありますねぇ、でも色々あってなどと適当にごまかした。
いろいろ話してるうち、耳や顎下、顔色などから甲状腺が悪いのかねぇ、それとも何かの感染症かなぁなどとも言われた。
自分でもネット検索などで、それは気になっていた。
それにしても何故そんなに病気の事に詳しいんだろう。
気になって尋ねてみたら、開業前の独身時代、医療事務の仕事をしていた時期があると言われた。
なので医師やナースほどではないものの、そういう知識は自然と身についていくらしい。
なるほど、通りで詳しい訳だと思った。
それと同時に、やはり自分は客観的に見てもヤバい状況なんだなぁと思い知らされる。
これは自分だけでは慣れもあり、なかなか気付きにくい。
以降、普段通りおじさんが担当の時でも、以前以上に心配されるようになる。
嬉しいけども、その度に現状を話すのもなかなか辛かった。
もちろん本当の現状までは話す事は出来ない。
話したいのは山々だけど、なるべくそっとしておいて欲しい
そんな気持ちだった。
結局何が言いたいかと言うと、
何だろう、これも昔の苦い記憶かな。
当時は見た目では病人とは分からず、元気そうだとか、仮病扱いされる事もあった。
身体の歪みからくる異変は、まるで病名がなく、健康な人からは、ろくな目で見られない。
医者ですらそんな人がいた。
それが物凄く悔しかった。
でも今の見た目は、おそらく誰が見ても健康そうには見えない。
スーパーのレジや宅配の人に、やや驚いたような顔で二度見される事なんて(かなりショックだが)しょっちゅう。
目を開けているのが辛く、顔もパンパンにむくんでいた時、それが理由かは分からないが、大学生ぐらいのガキにニヤニヤされた事もある。
だから、具合悪そうに見えるなら、それはそれでほっとしている部分があるのかも知れない。
もう以前ほど持病の事を軽く見られる事はないと。
そんなのいい事ではないし、皮肉な話だが。
セルフネグレクトではないが、こうやって症状を悪化させ続けてしまうのも、そういう過去の影響がないとは言いきれない。
『誰かに分かって欲しい』
そんな気持ちに飢えているんだと改めて思った。