様々な商品や

 

情報や
技術や
何やら
 
色々発達している現代は
 
そりゃー
「キレイ」な人も
たくさんいて
 
いい商品つかって
いい情報を活用して
テクニックを駆使して
 
「ひゃー綺麗」
「ひゃーその年にみえない」
「顔がめちゃめちゃととのってる」

とか。

 

そんな女性はたくさんいて

 

 
でもね。
なんか、魅了されなかったり
なんか心奪われれるほどでもなかったり。
 
綺麗です。
とびきりととのっているのです。
 
でも

心奪われない。

 

その綺麗さは

それはそれで全然アリだと思うのですが

 
 

40年以上生きているとね

たまに出会うのです

 

 

ただ単に
「キレイ」と感じる

のとは違う

 

その「美しさ」に息をのみ

心を奪われてしまう

そんな美しさに

 

 

 

そこには

その人自身が
「自分を引き受けている」

かどうかということがあるかないか・・・が、とてもKEYなんだなと

最近改めて思うようになった

 
決して
美しい部分
好きな部分
だけではなく
 
二重じゃないけど
顔丸いけど
美人じゃないけど
 
それも「自分」と
全てを引き受ける
 
そして
全て引き受けたあと
「じゃあ、どうしようか?」
と考える
 
引き受けずに否定したまま
「なかったことにする」
「自分にはいらない」
「みたくないから削除したい」

ということは、完璧な自分を求めているわけで

 

人間完璧な人はいないからね

求めたところで、また「削除したい」をみつけては

負のループ

 

そのうち、「こんなんじゃ、私じゃない」なんて

「別人」になることを望んで自分をなくす

 
「自分をないものにする」って
やっぱり悲しい
 
そこがあるから
今のあなたなんだし
そこがなかったらあなたじゃない
 
 
 
心奪われてしまうほどの
美しい人は、
 
そんなこんなも
まるっと引き受けて
ある意味凄く人間臭くて
 
そして
引き受けた上で
「今ある自分」全てを

楽しんでいるなぁって

 

それがとびきり素敵で「美しい」なぁって

感じるのです