#Dear Rino for all

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今から6、7年前の事。2009~2010年頃。

 

 

当時、中学生だった私が通っていた学校では

誰もがAKBの話をし、話題の中心はいつもAKBだった。


いわゆる  AKBブーム  のど真ん中の時代。

 

 


にも関わらず、2つ上の兄はAKBではなく、

ハロプロ(ハロープロジェクト)のグループ

℃-uteの鈴木愛理という子のヲタになった。


7年経った今、 ℃-uteの解散が先日報道された。当時であればとんでもない大ニュースだ

いや、今でもだいぶ悲しいのは変わらない。


 

 

話を戻します。


AKB48の2009~2010年と言うと、

 

2009 第一回選抜総選挙 前田敦子センター「言い訳Maybe」

2010 第二回選抜総選挙 大島優子センター「ヘビーローテーション」

2011 第三回選抜総選挙 前田敦子センター「フライングゲット」


ああ、なるほどね。と一般人の人がわかる時代である。


今でもAKBと言えばこの頃のことしかわからない。というひともいるだろう。


ただ、一つ言えることはある。

この頃より今の方が総選挙の票数はとんでもない数になっているし、CDは売れているという事実。


 


中1(2009)の頃はまだ何も知らなかった。

AKBという存在すら。何も。


とにかく私はアイドルが嫌いだったのだ。

今となっては誰も信じないことではあるけれど。




私の頭の中は「アイドル=ぶりっ子」のイメージしかなかったからだ。



いまのアイドルにはそのイメージがあるのは少ないだろう。メンバーの中に「キャラ」としてならあるけれども。




そんな方程式が頭の中で出来上がっていたのは間違いなく母の好きな 松田聖子 さんの影響だ。

聖子さんは元祖ぶりっ子アイドル。



そのイメージが小さい頃からある私はその方程式を作り上げたのである。

ということで、私はアイドルが嫌いだった。






そんな私がなぜいまこんなにも生活の中心が48Gで、年がら年中金欠に陥っているのか。


まずはその出会いからお話します。


AKBとの出会いは本当に、普通におとずれた。




兄の友達はもうすでにAKBのヲタクで、

しかもできたばかりの頃からおかっけていたらしい。

とんでもない古参ヲタであるが、現在もヲタクなのかは不明だ。



と、まぁその友達の影響もあって、

兄がレンタルでAKBのCDを借りた。



その斬新なCDジャケットだけが当時の私の印象に深く残った。

毎回レンタル屋さんでそのジャケットを見かける度、気になっていた思い出がある。 

 

CDの名は「大声ダイヤモンド」

 


SKE48のオーディションに合格したばかりの当時小学六年生だった

松井珠理奈がセンターを務めた曲であり、

その珠理奈が「麻里子さま〜!」と大声で叫んでいる、CDジャケットである。


 

ちなみに備考ではあるが、私と松井珠理奈は同学年である。


私がまだAKBのことを全く知らない時代に彼女はもうアイドルになっている。

本当にこれだけは、すごいことだと思う。


心なしか彼女のことだけは、嫌いになれない。

 

 

 

そのCDジャケットが、私とAKBの初めての出会いであった。 おそらく。


今回はこのあたりまで。


 

Ren.