一瞬力(いっしゅんりょく)を身につけたい

秒とかではなくたったの一瞬。

人間が魅力を放つことができる時間は少ない。特に僕のような凡人は殊更だ。

天才と呼ばれる人達はやっぱり魅力を放っている時間が長い。
意識してないかの如く魅力を放つ。
まさに天性。天賦の才と言わざるを得ない。

凡人の努力と天才の努力。どうしても埋まらないものがある。

でもそんなことはどうだっていいのだ。どうせ僕は凡人なのだから気にするところではない。一生その差はむしろ埋まらない。

だが鋭意努力を惜しまず凡才たる才を見いだし価値にすべきかと思う。

天才にだってデメリットはあると言うものよ。天才には凡才の気持ちなど歌えぬのだから。

それに天才に学ぶ事ができるのも凡才の特権である。

我々凡才にできるのはたった一瞬の煌めきを発生させて、それを如何に継続し、無敵時間を増やせるか考える事である。

クリエイティブな作業をしていると突然神が降りてくることがある。
そうゆう時はもう、勢いのまま、導かれるがままに書く。

そこに自分とか他人とかそうゆう概念は存在しない。ただ神様のマリオネットになった気分。

でもあの感覚を頭で理解しようとした事はない。それができれば苦労はしないだろうが。

閃きが鍵を握っている気がする。閃きとはどこから来るものなのか。

ただ待つだけってのはもう無理がある。

閃きの探求は続く。





このブログのタイトルはSharing of thoughtsとしました。

意味は「想念の共有」音楽では表現しきれない部分を補うフォーマットとしてブログはやはりちょうどよく、
以前はダラダラ書いていたブログをまた再度こうして書き始めています。

自分が作る音楽とそれを補完する役割があっても良いと思いましたので。

自分が持ってる意識や思い、考えを嘘のない形で表現していく事で、
正しく意味が伝わると考えました。
それが僕の人間性の証になり名刺にもなるかと。
名刺じゃ語りきれない、語っても仕方のないこと。
ですが、多くの理解を得たい。
僕が僕であると言う真実を。
僕が僕でいたいが為に生まれる闘いや葛藤
悩み、それをクリアーにしていく心持ち
そしてそれがあなたの気持ちや想念とリンクすれば。

より僕のメッセージが届くと思います。


購読、これからもよろしくお願いします。
為にはなりませんが、「あなた」にきっと寄り添う存在です。

僕の言葉が届く「あなた」にね。





前回ブログの続き。

自分自身がそもそも誰かに作られたボールなのです。
だがそこには確かに自分の意思があり、自分の意思でそう転がりたいと転がります。

点と点を線で結びそれが歪な円になると言う感覚。

自分の行動と言う「点」からの「点」(他の誰か、もしくは人ならずとも、
その空間に与えた影響、
空間ならずとも人の潜在意識に与えた影響、)

それがどんどん続いていって最終的には自分に戻ってくる(インプット)
そしてその影響からまた自分が何かを発信する(アウトプット)

つまりそれが輪廻(ループ)していくのです。
その際自分に戻ってきたインプットは元々は
以前自分が発したアウトプットが起因の可能性がある。

でも冒頭で話した通り、自分自身がそもそも誰かに作られたボールだとしたら

完全に自分のものだと思って発したアウトプットが

自分を作った何ものかのアウトプットによって発生したものの可能性がでてくる。

そもそも自分一人で人間は生まれて来れない。
みなさんにお父さんやお母さんがいるでしょう。

原因があって結果があります。

自分と言う概念をそもそもアウトプットしてくれた両親がいなければ今あるどの考えも生まれなかった。

これは想像ではなく
単なる事実です。その両親にも親がいたでしょう。

ルーツを辿ると壮大すぎて、ここからは想像の話になってしまいます。

原始人がいて、その前には猿で、そもそも海からやってきたのが生命で(諸説あり)生命とはそもそも地球がなければ成り立たず、地球は宇宙がなければ成り立たず。

宇宙はそもそもなんなのだ。
よくわかりませんが、概念なのか果てのあるものなのか。

知ることは永遠に不可能かも知れない。
そんな訳の分からないところにこのピタゴラスイッチのスタートがある。

もしくは時間と言う概念がすべて一巡するのであれば、パラレルワールドからのピタゴラスイッチの可能性だってある。

頭が痛くなるような話です。終わりがないので。

ただ影響を与えあいこの世のすべてと会話するように生きていきたい。

善果も悪果も点に過ぎない。ただ自分が自分であることには変わりはないのだから。

自分として最高の表現をしたい。
自分でありたい。死ぬまで僕は。

自分の思考回路にはクセがある。
それは、自分の経験から形成されたクセで
理にかなってはいると思う。
何よりこの考え方をしていると
楽しくて抜け出せなくなる。
どんなクセかと言うと、

なんでもピタゴラスイッチ的に考えてしまう

と言うクセ。
ピタゴラスイッチってご存知ですか?
子供向けの知育番組で、要は簡単な
カラクリ仕掛けなんですが、

例えば、ボールが転がって机の端に置いた本にぶつかる。
その本が地面に置いてあるシーソーの片側に落ちて、もう片側に置いてあったボールが飛び上がる。
飛び上がった先にはレールがあり....のように進めていき、最終的にゴールにたどり着くと言うもの。

それらはもちろん計算して配置することによってそのようになります。

自分はこれが大好きでして、
物事の因果を考える上で度々頭に浮かびます。


究極は自分の人生に置き換えてしまいます。
まず、今ここに自分と言う人間がいます。

そこがゴールしかりスタートだとして、
自分が何故いるのかと言う疑問が生じます。
それは今日この瞬間まで生きてきたからと言えます。
では何故、生きてきたのか?人生投げだしたい瞬間もあったはず。と。
人生投げだしたい瞬間を我慢して乗り越えたからと。
何故我慢して乗り越えたのかと。
それは先の人生に希望を持っていたからと。
どうして希望を持てたのかと。
それは大切な人に勇気づけられたからと。
何故勇気づけられたかと。
孤独ではあるが一人ではないと学ばせてくれたからと、
では何故…のようにひたすらに考える。

ひたすらに考えると本当に面白いもので色々な答えが見えてきます。

結局、そうゆうのを細かいところまで突き詰めると、

今行っているほんの一呼吸が尊く感じます。
この呼吸が自分を未来へ連れて行ってくれているので。

この一呼吸がなければ明日出逢うはずだった人にも出逢えませんし、
道で転んでケガをすることもできません。
道で転んでケガをすることで
ゆっくりしか歩けなくなり
いつもと違う時間に通りかかる道で
幸運に出逢えるはずだったのに
この一呼吸がなければ出逢えないかも知れません。
でも逆に自分が出逢えない代わりに
誰かが出逢えるかも知れません。
それはそれで俯瞰して見たときには良しとして、
それほどの意味が一呼吸にはあるのです。

じゃあこう思えませんか?
僕たちが生きてきたこの人生は
実はこれから先の人生において
ものすごく意味深いのでは?と。


そしてこれから出す一歩の意味。

動けば動く程様々な因果に影響すると言えるでしょう。
まずは自分が自分として存在していると理解しなければなりません。

ピタゴラスイッチで言う最初のボールがあなたならあなたはボールであると自覚する必要があるでしょう。

様々な立ち位置に人はいます。
最初のボールですら作られた存在なのです。





今日はこの辺にしておきます。
おやすみなさい。





過去と向き合うのにブログと言うものは最適ですね。
と昔の記事を読みながら、物思いにふける。

完全に他人事な過去だけれども、確かにこれは自分だったんだと、思う事ができる。

その時の楽しさや悲しみが伝わってくるし、それに伴った記憶や、幼さ、すべてが分かる。

チョけた子供みたいな文章見て恥ずかしさで疲れたりもするけど、この過去がないとダメなんだ。

このどうしようもない過去が今に導いたのだから。

言葉の上での人生ではなく、人生には言葉になんかならない深い瞬間がある。

それが理解出来なかった。でも理解する必要がなかったとも言える。

行動の先に未来がある。

それは行動するまで分からない事だから。


ともあれ時間旅行をしているようで不思議な気分だ。


音楽にも同じ事が言える。


その時にしかない考え方や思いや感情が
その時にしかない要素で形成される。


だから価値がある。どんな歌詞にも。


そう考えるとボツ作なんてなかったとも言える。
ゴミみたいな作品でも無くてはならない価値があると。


その時は最高だと思ってだしている。その事実が大事だし有耶無耶にすべきではないのだ。


一番精神を成熟させるであろう期間に精神病で引きこもっていた俺は人よりも成長が大分遅くて、人より常に劣っていると言う劣等感を持っていた。


可愛そうな人間だったと思う。だけど故に孤独は深かったと思うし、その孤独な時間が人とは違う俺にしかない成長をくれたとも思う。



"幸せ"がなんたるか。それはどんな音楽にも表現できないけど、
きっと、もう神様が俺の為に表現してくれているこの人生の事だろう。

その一片を切り取り作品にして、額縁に入れて飾る。
自分にできるのはそれくらいだと気付けたら
肩の力を少しは抜けるだろう。

今は自分が凡人であることを誇りに思えるし、
他人より劣っているとすら認められる。


今出てくる言葉は感謝しかない。
ありがとう。









生きてゆけばゆくほどに
状況は変わるし歳もとっていく。

精神論だけで生きていけるほど甘くもないし、
学びを繰り返し少しずつ進化を繰り返して行くしかない。

正解なんてないでしょう。
でもどうあるべきか、その答えは知ってる。

自分の中で譲ることの出来ない光景があるのなら、
その為だけに真剣になるべきだ。


ここに生まれた俺の小さな決意が
世の中の何かを些細でも動かすのであれば
俺の発言、行動も無駄にはならないだろう。
だから、あえて表現を辞めない生き方をしよう。




見るに耐えない自分語りを俺は永遠にやめないのだ。



25歳で音楽をやめたが、それは自分である事もやめたようなものだった。



俺は令和も生きるし、
すべてのやりたいことやって死ぬことにする。

30歳、まだまだこれから。






こんばんは。

ブログの記事をあげるのは久しぶりで
何を書いていいやらですが、
皆さん、平成が終わりますね。

皆さんにとって平成とはどのような時代でしたか。

僕にとってはこれしか知らないもんですから、
すべてだったと言わざるを得ません。

昭和の残り香を吸った程度で、昭和を知りませんし。
昭和に憧れたこともあります。羨ましくて魅力的な時代でした。

新元号 「令和」の時代になった時に
令和しか知らない子供たちは
平成に憧れを抱いてくれるのかな。

平成は平成で平成にしかない輝きや
悩みがあったんじゃないかと思います。

ですが、昔の人と変わらず未来へと
進歩して行こうとし、
実践してきたんじゃないでしょうかね。


知りませんが。


新しい時代が楽しみですね。
平成がどんな時代だったか。
未来で子供に語るのが楽しみ。


最高だったからね。