妹がうちにいた頃、
当時小学一年生の息子と同じ事を言っていました。

分からないことをわからないままにしないで、
「わからない。」
と言いなさい。
知ったフリをすると、そのうちわからないと言えなくなってしまうよ。

知ったフリをしていると小さな嘘をいうようになって苦しくなっていくよ。
小さな嘘はどんどん大きくなって、最後に雪だるまのようになってしまって、身動きが取れなくなってしまうよ。

だから、
分からなかったらわからないと言いなさい。
分からなかったら調べなさい。
分からなかったら聞きなさい。

今もだいたい同じ様なコトをいいますが、
当時ほど言わなくなったので、息子頑張っているかなって思います。

小学一年生の男の子ならね
まあしょうがないわけですよ。

新しいこと覚えてるのと、
お母さんにいい格好見せたい
っていう気持ちがあるでしょうから

んでもね。

何故か私とふたつしか変わらない妹はやっちゃうんですよね。。。

何回か息子にしたように叱っていたら言われました。

「そんなの綺麗事だよ!世の中はそんな風に出来てないの!」

ってね。

綺麗事…確かに綺麗事だなって思う。
でも、
この綺麗事を取っ払っちゃったら、
なんかこう、とんでもないことになるような気がするんだよね。

この世界は無条件の愛によって出来ています、護られています

私の中で、もっとも綺麗事って思うのはこれかな。

小学生くらいの時は本当に心がすっからかんだったので

愛?なにそれ。食えんの?美味いの?

ぐらいの感じでしたから
…まあ、私がそんなんでしたので、二つ下の妹がああなっても、もしかしたら不思議はないかもしれないです

未だに無条件の愛がどーこーっていうのは、正直ピンと来ないんですが

誰も見て無くても神様は見ているよ。

っていうのは
なんとなく信じているんですけど
やさぐれていたそれも信じられなかったわけですよw

は?神様って…以下略

スピ系とかに居ると、無条件の愛がどーのーこーのーって、誰かが呟いてくれるんで、時々目にするんですが

は!
っていうときと
まあそうだよね~そういうのもあるよね~

って思うときと、二つの感情があることに、なんとなく自分、気がついてきました。

何を持って満たされるなのか、わからんのですが、

心が落ち着いている時はわりかしそういう綺麗事を容認できます

反対に、心がすかすかだなーっていうときは、は!って鼻で笑うか
そうじゃないことを嘆くとか、怒るとかなんというかうーん…過剰に反応するっていうのかな

そんな感じです。

いろいろ考えてみたんですが

大きなカテゴリーには目標とか、理想とか
あるわけですよ。

無条件の愛がー
とかっていうのは、この世界で生きていく。っていうカテゴリー目標みたいなもんなのかなぁって

でもそのカテゴリー目標って、毎回毎回達成できるわけじゃない

体調悪かったり、
メンドクサイからサボってみたり
やりたくないから放棄してみたり、
うっかり忘れてしまったり

そういうのにはまってしまった頃、そのカテゴリー目標を見ると
怒ったり、凹んだり、イライラしたり
するのかなぁ

なーんて、思ってみました。