1はこっちhttp://tiaracrownryura.blog63.fc2.com/blog-entry-142.html

で、そのゴタゴタで、カウンセリング行こうと思っていたんだけど、行けなくなってしまった。
忙しくて。
代わりに、働いて保育園に入れるということで、心の平穏を確保した

まだまだ私の中の波は終わらないんだけど
一応平穏になったのでそのままになった。

更に時間を進めよう。

私は二人目の子供を身ごもった
前置胎盤気味なので要安静だった
そこに妹のヘルプが来た。
この辺りは日記に逐一書いてあるので反復になるけれど

下の妹と話をして、下の妹が妹を預かった
一応、DVということで保護したんだけど、
妹はとにかく相手は酷いの一点張り
それを些細な世間話をしながら愚痴という形で吐き出させるのに三ヶ月かかった
しかし同時に、彼女は男性依存が始まった
あそこんちは共依存だったわけだ
下の妹の家の実家がいい顔をしなくなったので出て行かざる得なくなったが
妹は実家が大嫌い。
困った父が相談してきた。
一の姫が産まれて5日以内にwww

だから私も決断した。
二度はない。って確か言ったww

そうして妹を預かった

やがて
愚痴も出てくるが、妹自身にも問題があることが判明した
なにせ自分に都合の悪い言葉は自分を責め立てた。私の事嫌いになっちゃったんだ。みんな私の事離れていくんだ
となる。
意見は言えない。都合の悪い言葉だから。
都合の悪い現実は本当じゃない。
真実は何処にあるんだろうって考えながら、その真実は、自分に都合の良い現実。
まあ、ちょっとお聞きなさい。
って正論を言ったらば
そんなの知らない!
私はそんな風に育てて貰っていない(じゃあ私はなんなのでしょうww←今更ツッコミw)
というので、じゃあここで教えてやる。
と、当時小学一年生になった息子と同じ躾をした。
一応ね。
聞きましたよ。
なんでかっていうと、家主だから。
家を追い出されたらたまらないから
なので、はいはい言いながら、お姉ちゃんは厳しい。愛がない。息子君のこと嫌いなの?
とか言われましたね。
んでも
嘘を付くことはよくない
とか
出来ない事を出来たことにしてはいけないとか
分からないことは分からないと言わないと一生分からないとか
お茶碗は支えて食べる。
とか
朝は忙しいんだからゲームをするな。時間を見てうごけとか
そんな感じです。
そりゃ、乳飲み子がいるんですから、かなり余裕無くて大きな声を上げますけどね。
どうなの?厳しい?

そのうち、家に帰ってこなくなって説教もしました。
ま、行った先は結局男のうちなので、旦那と切れてないのにそれってどうなの?とか
まあそこんところは色々あったけどね
でもまあ基本的に妹は
キチガイの母親に育てられたんだからこういうは母親のせい。
私のやっていることは私の友達の常識だよー
で終了
受け入れられないと
私はこんなに苦労して、家まで出てきたのにヨヨヨ…
で、こっちが譲歩していたら、なんかこっちがおかしくなって病院に行って来た。
そこでやっとカウンセリングを受けることになる。

ま、最終的には受け止めきれず実家送り
一応精神科の先生にもご相談しましたよ。
ここまで出来れば十分です。あとは専門家に任せてください。
性格なんてね、それで治ればもっともっと楽なんですよ。ニッコリ
という先生の笑顔が忘れられません。。。

というわけで、
実家に帰ることになりましたが
私は条件を付けました。

妹はカウンセリングにいけ。
とりあえず先攻して私がうける

というわけで、私はとっとと行ってきました
過去のこともありましたからね
後、過去生がどーのこーのっていうのもあったので、
ついでに今の自分の感情と、過去の自分の感情の洗い出しです。
薬をもらっているのをいいことにほじくり返しました。
今の生の昔の辛いことなんて、思い出したくないので蓋でしたが
まーだいぶ掘りましたね。
でも、必ず落ちるので、薬は必須でした。
カウンセリングもかなりいい感じでした
まあ、以前の実績もあるので、とにかく喋って、話を精査して
って感じでやって
まあ、当時は妹が結局ネックでしたが
自分で始めて自分で終わりにしました。
終わったときは清々しかった

もちろん、カウンセリング以外でもいろんな側面からいろいろ考えましたよ私

父や母の話から、父や母の子供の頃の話を想像して
そこと私の子供の頃にした行動は、こんな欲求があったんじゃないかとか、そこからこういうふうに発展したんじゃないかとか
でもあんまりやり過ぎちゃうと、
じゃあ私はどうすればいいの
って、小さい私が泣くので中断とか
そういうのもありました。

私が出した答えは
父も母も結局は被害者なんだね
でした。

許せるかって言うと…正直どうなの?って思いますが
そう言うの分かったら、嫌いが、本当は好きだったんだよ。に大変革を起こしたので今母に付き合っています。
父は…時々離婚は…というのを匂わせるのであんまり行っていませんが
まあ。たまにww
父は父で気に掛けてくれるのでそれなりにでいいかなって

最近更に分かったのは
ばあちゃん子だった母は、おばあちゃんの成り方しかわかんなかったのかもww
とか思っています。
そんで、多分なんですが
自分にして欲しかったことを、一の姫にしてあげているのかな~って思っています。

私もまあ生きづらい人なんですがw
というか
ずっと親のせいにしていた時ってあります。
でもね
もう親から離れたんだから、後は育てるのは自分なんですよね。
あと許すのも自分かな。

話し合って縁を切った友人がいたんですけど、
彼女に
その記憶の中のおかあさんは、貴方自身なんだよ。
もう許してあげなさい
って言われたことがある。

確かにお母さん自体は許せないけど
それはもう過去
記憶は自分のモノ
許すって言うのはそのことに縛られて立ち止まるな。そこに行こうとするなっていう意味なんだなって、
最近思う。

一番最初にカウンセリングを受けたとき、自分で決めて、自分で電話したのが一つのキーワードって書いたけども
そのカウンセリングの先生が言ってたんだよね。
誰かに勧められてとか、誰かが代わりに連絡をされても、決して良くなりません。
自分で決めて、自分でなんとかしようとしてここに来るから、良くなるんです。
って言ってたんだ。
自分の意思でいろんなことは変わる。
過去はもう過去
だからといってなくならないけど、それに縛られることもない。
捨てるというのもちと違う。
仕切り直し。と言って切って捨てるのもまた違う。
人は反省する生き物だから
知って、反省して、直していけば良いんじゃないの?

スピとかでもなんというか、いろいろなのがあったり、考え方があったりして
セッションも受けましたが、最初のカウンセリングが凄くセッションに似ている感じでした
やっている内容も似ていますので、そういうのの克服には役に立つと思うんです。
でも、やっぱり感情の波とかくるんですよ
そう言うときはお薬も併用するのは無駄じゃないとおもいます。
実際私は自分で洗い出ししながら、病院に通っていたので

更に言うと、多分、洗い出しが終わった時点で
もの凄い一人感っていうのかな
支えがないのに経っている変な状態になったんです。
でもおかしいですよね。
支えが無くて立っているのは普通の状態じゃないですか。
でも私は、いつも矢面に立たされたり、頼られすぎたりして、いつもナニカが常にあった状態だったんです。
そこで出たのは
何か支えを探さなくては。
という変な感覚でした。
頼られなくては。
いや、頼らなくては
いやいや、それはおかしいですぞ。
とかねwww
特定の人の顔色を自分がうかがい始めたので、その人に
私は貴方と友達で居たいから、少しだけコメントを控えてください。少し立ったらきっと大丈夫になるから
って、言ったこともあった
まだまだ生きづらいこともあるけど
それでも少しずつ。私は前進しているんじゃないかなって思う。


ちなみに
この結末は書かなかったけど
妹のカウンセリングはどうなったか

一応ね。約束だから行ってきましたよ。妹もね
でも、正直なにを喋って良いのかわかんないし、それでなにか変わるわけでもないし
続ける意味がわかんないし
ということでなーんにも成果は出ませんでした。

そして、DV旦那さんのところに戻っていきました。

やっぱりイロイロと悔やむところはあるんですが
そこで過保護になるのも毒かなと思って。

治ろうって決めるのは最終的に自分だからさ。