たみえさんや月の娘ちゃんが、毒親の本(ちゃんとした名前は忘れちった。てへぺろ☆)の話を書いてて
まあちらっと思い出したりしたことをつらつらと書きたい気分になったわけだ

私が「普通じゃない」家庭に育っているなぁと気づいたのは、多分看護学校に行っているときだと思うので、18歳くらいかな
まず家庭というより、自分おかしいだったかも。
やっぱり病気のこととか書いてあるからね。
精神科とかのところで「んん!!?!」
ってなったかな
お世話になったのは初めて異動したときに合わなくて
その時仲良くしていた友人が、やっぱり福祉関係の学校に行っていたので、相談したら、カウンセリングもやっている先生を教えてくれたから自分で電話した。
後になって、この
「自分で決めて、自分で電話して予約した」
っていうのがキーワードになってくるんだけどね。

ま、その時は五回も行って、休職したらなんとかなった。
でも
本当の内面の苦しみはここからだった。

多分、そこから五年経過する。

私は結婚して子供が出来て
途中、不安定になったりしたので、何回か精神科のお世話になったけど
薬が効いていたので、それは問題にしていない。
その辺りは自分の経験で飲んだり切ったりしていた。
というのも、本当に症状だけ改善すればいいやと思っていたから、カウンセリングはあまりしてくれないけど、良い薬を出してくれる先生のところに行っていたんだよね。
だから本当に、精神の波のメンタルは薬で管理していた。

でも、どうしようもない大きな波が来ることになる。

息子がハイハイして、手いたずらも多くなって。
ちょっかい出し始めて。体調も崩すようになって

当時、私は家で息子を見ていた。
今の家にきたばっかりだったけど、覗かれたり、ゴミ漁られたりと、精神的にも追い詰められていたし
息子は食べない、飲まない。母乳だけ
なので小さくて
這うように行った定期検診で虐待を疑われたので、行政に対する不信感もMAX
誰にも言えない。頼れない日々を送っていた。

息子はにこにこ脳天気さんだったけど
ここに来て掴むいたずらをし始めて
髪の毛をけらけら笑いながら掴んだときにフラッシュバック
ダッシュで逃げて部屋の隅に逃げ込んで「おかあさんごめんなさい」を連呼した
パパが見つけて「大丈夫」って言われるまで蹲って震えていた。

あと息子が体調崩したときの違和感

私は看護師だったので、吐いた→吐きたいなら吐いちゃいなってなでなで。その後片付ける
というのをやって、頭おかしくなりそうだった
よく考えてみたら、私が幼少の頃、吐いた→殴られて罵声を浴びせられ、水をぶっかけられる
だったので
自分にされたことと自分のしたことのギャップに、多分自分の中の子供が苦しんだんだと思う。

なんでそんなこと言うのかというと、いまだってそうだからwww

そのご、有為曲折あって、母はうちによく来て、一の姫を可愛がっていくけど
時々自分の中で嵐が起こりますよ。
ずるいずるいって

で。
イロイロ考えて
イロイロ調べて
それで出た結論が、
当時は全部母のせいだと思っていたのね。

丁度おかんが外遊びが酷すぎる時期だったから尚更かな 苦笑

で、まあいろいろあって、実家は離婚しました。
哀しいことに、それに関していろいろと動いたのは私でした。
でも、父に「助けてくれ」といわれたので、そりゃ大変だ。
と思って「どう言うつもりなんだよ」と、言う話し合いの場を作ったら逃げられ 苦笑
個人的に話を聞きに言って父に電話したら売り言葉に買い言葉的に離婚になっちゃったんですが
私は離婚させ様なんてこれっぽっちもなかったんだわけ
だから私の提案は
冷却期間をおいてみたらって話。
みーんな父が蹴って離婚になった。

離婚になったという経緯を報告したとき
父は綺麗に言葉をまとめた。
さくさくっとしてちょっと拍子抜けした。
あんなに泣いたり怒ったりしたじゃん
とか思ったんだけど
そうなったので。
って終わりだった。

後に、その離婚は私のせいになっていたりすることを知るんですけどねwwwしかも母を焚きつけたからと、母に手に職をもつきっかけを作ったのが私だったから(母は私の後輩ですww)
ときたもんだ。

実は全てにおいてそうだったんだなとこれまた後程知ることになる。