自分がバイクで旅をするのは、自身が好きだという大前提があるのだが…




とある女性の言葉が心の中に常にあるからだ




その女性とは、ある闘病サイトで知り合った

もう何年になるだろう…

四月の終わりのことだ


最初は掲示板でのやり取りだけだったが、そのうちメールのやり取りをするようになった


その女性は当時20代前半

3歳の女の子の母親


病気は進行性の肺がんだった



掲示板では明るく、とても気丈に振る舞っていたが、ある日の深夜、とても弱気で不安に苛まれたメールが届いた


『痛い、苦しい、なんで私なの?娘や旦那を残して死にたくない…』


家族の前でも、気丈に振る舞っていたのかな?と、ふと思ってしまい、頑張れとはとても言えなかった…


かける言葉がなかなか見つからず、旅先で撮った写真を送ることしかできなかった


『ありがとう…旅、してくださいね ベッドから動けないから、Azさんの写真で旅行気分を味わえます 治して娘を抱きしめます』



夏になり、北海道へのロングツーリング

北海道を目指すフェリーの上で、緊急手術を受けるというメールが旦那さんから届いた…

ツーリングを中止するか…

ものすごく迷った


そこへ再び旦那さんから、

「旅先の写メ送ってください 彼女はそれをとても楽しみにしてます」


というメール…



泣きながら旅の続行を決め、旅先で出会ったライダーや、お店の人、スタンドで働いている人、フェリーに乗組んでいる職員…

様々な人に声をかけてワケを説明し、彼女への寄せ書きを小さなノートに書いてもらった

突然話しかけられ、驚いても話しを聞くと、快く応じてくれた人達だった

限られた時間で30人ほどしか寄せ書きを得られなかったが、旅から帰り、プリントした写真とそのノートを旦那さんに郵送した


掲示板の住人誰もが回復を望んでいた




だが、



望んでいた奇跡は起こらなかった…


手術から2週間後



旦那さんから彼女が旅立ったこと、そして感謝のメールが届いた


『妻はあなたの写真を眺めてはとても喜んでいました…旅をして写真を撮ってください それが妻への供養になります 寄せ書きのノート、最期まで大事にしていました…』


久しぶりに泣いた大声で…


悔しかった…


無力な自分が…



四十九日を機に、旦那さんとのメールのやり取りを終わらせた


出張等で忙しかったのだが、娘さんのために異動を希望し、これからは別の意味で忙しくなるからだ





あの頃の掲示板も閉鎖され、携帯キャリアに残していたメールも、スマホに変えた時に移行に失敗して消えてしまった…



残ったのはメールアドレスだけ…


送っても届かないアドレス…

当然返信なんてくるわけがない


それでも消せないでいる






自分はこれからもバイクでツーリングをし、楽しみ、写真を撮る



何年先になるかわからないが、たくさんのみやげ話しをするために…


その時は、面白おかしく話そう

失敗談なんか山ほどある




きっと喜んでくれる




そう信じて旅を続ける