国道166号線を東へ、三重県へと向かう

ここで今さらながらに思い出した
奈良公園というごくごく近くに来ておきながら、興福寺の国宝 阿修羅像を見るのを忘れている


日付も変わろう、県境を越えようという今の今まですっかり失念していた

行き当たりばったりの のほほんとした旅だとこういうことになる

また訪れれば良いか…
(と、自分は思うのだが、許せん人は許せんのだろうな…こういったことが原因でケンカになったり…)




奈良県の南にあって三重との県境にある東吉野村

吉野杉の産地として有名だった

1963年まで国内産の木材は、戦中の荒廃と戦後の復興需要で供給不足が慢性的状況にあり、それらに伴う国産木材の高騰は復興への瑕疵となった

復興を急務とする政府は、復興への足枷となる国産木材の高騰に対処するため、輸入木材の自由化を1964年(昭和39年)に解禁した

安い外国産木材が国内に流通しだすと、国産木材は需要を失い始めた

為替が固定相場制(1ドル360円)だった時は依然として輸入品は高かったのだが、1971年にアメリカのドル・金交換停止からのドル切り下げ(ドルショック)で1ドル308円まで円は切り上げられ、さらにはその2年後1973年にはオイルショックをきっかけに為替は完全な変動相場制に移行した

当時の為替レートは 1ドル280円前後
あっという間に輸入木材は国産木材にとって変わった(農協のような圧力団体や林業の族議員でもいればまた違ったことになったかもしれないが…)
 
林業は木材で利益を上げる時代ではなくなった

広大な山林を所有していても、到底輸入木材に勝てるはずもなく、山林を手放す林業家は後を絶たない

国有林や県有林になり、税金を使って如何に維持するかという時代になっている 

長野県でも、伐採した間伐材を利用しようと広報しているが、いかんせん一大ムーブメント、というわけにもいかない

東吉野村の隣、吉野町はあまりに有名な吉野桜がある

山林を伐採し、桜の木を植えるのもまた費用がかかる…

真っ暗な吉野杉の山を見ながらそんなことを考えていた