戦時中、逼迫する戦局を打開しようと 特攻という忌むべき手段を生み出した旧日本軍


大型の魚雷に人を乗せて操縦できる空間を確保、中から操縦できるように作られた 回天
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有翼潜水艇としては世界初ながら特攻兵器の海龍
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この海龍が発見されたのは伊豆の熱海市網代(あじろ)
伊豆の各地には旧海軍の特攻基地があった
網代、稲取、下田、田子、土肥、戸田…

来たるべき本土決戦に備え、伊豆半島は特攻の拠点となろうとしていたが、そうなる前に終戦を迎えた


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零式艦上戦闘機62型
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零戦(れいせん)の試作型は十二試艦上戦闘機と呼称され、量産型に移行すると、11(いちいち)型、21(にいいち)型、32(さんにい)型、22型、52型と呼ばれた

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性能は劇的に良くなっていったわけでもなく、若干の馬力のアップとそれに伴うわずかばかりの速度の向上しかなかった


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設計者の堀越二郎は、徹底的に無駄を削ぎ落とした軽快な運動性を零戦に持たせた

無駄(余裕)の無い設計は改良の余地が無く、零戦は登場した時点で完成された機体であったのだ



それでも、
零戦という飛行機の特性を知り尽くしたベテランの搭乗員が乗れば、開戦当初はほぼ無敵であった



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大和ミュージアムにある62型の零戦は、抜群の運動性で敵を圧倒した初期型とはまるで違うモノになっていた

似ているのは外観だけなのだ

発着艦する空母は無く、自在に操れるベテラン搭乗員も無く…




元は兵器として誕生した悲しい存在なのに、基地から飛び立ち、敵艦に向かって搭乗員の生命と共に散る…



虚しい特攻兵器になった、哀しい存在なのだ