富士山の見えたところから距離的に近い、下社秋宮に向かう
諏訪は温泉の町でもある
下社秋宮には温泉が引かれている手水舎もある
諏訪地方では、諏訪神社の氏子ならば狩猟は神事とされ、神に捧げた肉が下げられればその肉を食すことができた
慈悲と殺生の両立
前世の因縁と宿業で生きた生き物は生を全うできず、それ故に人の身に宿して人とともに成仏させる
諏訪大社の勘文(かんもん)を現代語に訳すとこんな感じなのだろうか
仏教が入ってきて以降、殺生は禁忌とされた
が、諏訪の信仰は自らが生きるためにその生命を奪うことを許した(自然の恵みとして必要以上に獲ることはゆるされないと思うが)
肉や内臓は食し、毛皮や骨は加工品として流通する
御祭神に建御名方(タケミナカタ)その妻 八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)を祀りながら、縄文の世から信仰されてきた土着神がその根本にある諏訪
今日まで諏訪地方には龍蛇神の信仰が残っている
その歴史は古く、頭にトグロを巻いた蛇を載せた土偶(約4700年前の縄文期と推定)が付近の富士見町藤内(とうない)遺跡から発掘されている
記紀の神話によれば、出雲での国譲りの際、天津神に国を譲ることを拒否したオオクニヌシの子のタケミナカタは、天津神のタケミカヅチに敗れ、諏訪まで逃げて来た
諏訪から出ないことを約束して諏訪を治める神となったとある
真実は知る由もないが、クニの統一を図る勢力(中央としよう)が諏訪に来て、諏訪を統治していた一族(地方としよう)と争いになった
地方の勢力は中央に敗れ、中央が統治することを受け容れた
それが記紀の神話を編纂する際に、朝廷に都合良く利用されたのかもしれない







