仕事で松代まできた



長野市の南東にある松代

真田昌幸の長男、幸村(信繁)の兄、信之が晩年を過ごした地だ



池波正太郎氏は一連の真田モノと呼ばれる著作の中で、真田信之を徳川家康と同等かそれ以上に描いている

家康、秀忠、家光と続いた徳川政権初期の大名取り潰し政策

関ヶ原で徳川に付き、功績を挙げた加藤家も福島家も、譜代や親藩と言われる親徳川の大名も次々と取り潰しにあった

家康は信之の忠誠を信じていたが、関ヶ原遅参の秀忠はその原因ともなった「真田」という姓を赦すつもりはなく、ことあるごとに取り潰しの機会を得ようとしていた

それは政権が家光になっても、四代家綱になっても変わらなかった

1656年 真田家三代目をめぐる後継問題が表面化し、幕府や縁戚の大名を巻き込んでの騒動となった

徳川政権は真田家を取り潰す絶好の機会を得たものの、信之がその手腕を発揮して取り潰しは回避、新当主は2歳の幸道に決着した

あまりに幼いため、93歳の隠居していた信之が再度真田家の当主となり、また、信之の薫陶を受けた家臣団が明治の世まで続く松代真田家の礎を築き、同年、信之は鬼籍に入った


戦国の世の移り変わりを見てきた生き字引として、わずか10万石の小藩ながら、幕府内でも一目置かれた存在だったと伝わる


NHKの解釈はどんなだろう?

堺雅人氏の信繁も期待できるが、大泉洋氏の信之にも期待したい


昨日は冷え込んだ朝となった
そのせいなのか松代から綺麗な山が見えた
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今日の山はご機嫌斜めだ
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