地方、地域によって呼び方も変わる

松本市近辺では“三九郎”と呼ばれ、諸説ある(とりあえず三つ)
3つの苦労(三苦労)を願いを込めて焼き払った説
稲藁を円錐状に積んだ小屋を「サクロ」といい、それが転じた説
初代松本藩主の石川数正の息子の石川康長の幼名が、「三九郎」だったことに由来する説…


神社の境内で行われるのは“お焚き上げ”と呼ばれ、火祭りの一種だそうだ
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平安時代の宮中で、青竹を三本結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたのが始まりと云われている

今日あたり、田んぼや神社で一斉に火を焚く光景が見られるだろう


中信地方は明治の世
日本でも有数の絹糸の生産地でもあり、多数の養蚕家があった

その名残が三九郎にもみてとれる
子供達が繭玉団子を木の枝の先に刺し、三九郎の火で炙って食べる
そうすれば病気にならない、虫歯にならないと云われている


去年は穂高神社でお汁粉を振る舞われた

今年は仕事だ…

子供達が繭玉を焼いている姿は微笑ましい