黄昏 photographer -3ページ目

黄昏 photographer

美しいもの、癒されるものは何でも撮ります。

 

 

 

 

 

大っ嫌いな街・・・大阪

 

油にまみれ淀んだ汚い海、昼間からチュ-ハイを煽るおっさんのようなおばちゃん。

たこ焼きが流行ればたこ焼き、串カツが流行れば串カツ

一坪もあれば他人の土地だろうが平気で屋台を建て日銭を稼ぐ、がめつい浪速根性

「大丈夫かいな?」と顔で心配している素振りでも、薄っぺらい言葉となんでも「のりつっこみ」の軽薄さ

そんな街も人も大っ嫌いだ・・・そんな僕も大阪育ちなんだけどね。

 

 

僕は小3まで豊中ってところで育った。

親父は競輪の選手で「S級」ではなかっただろうけど、まぁまぁの稼ぎがあり近くにアパ-トの

2~3軒持っていた記憶がある。

スパルタというか厳格というか、子供の教育に対し歪んだ考えを持った親父だった。

NHKのニュ-スを放映しているテレビの前に僕ら兄弟は正座させられ、ニュ-スの字幕テロップを

読めという、小3の僕には当然難しい漢字など読めるわけがなく、そのたびに親父の横に置いてある

木刀が容赦なく飛んできた。

頭から血が噴き出し、その血で髪の毛が固まることなど日常茶飯事だった。

また、冬の凍えるような寒い夜裸足で家の外に立たされていた時、突然窓が開きバケツに入った

氷のように冷たい水を頭からぶちまけられた記憶もある。

今の時代なら親父は間違いなく刑務所行きだね。

 

 

庭に置いたでっかいロ-ラ-がいくつも付いた機械の上に競輪の自転車を乗せいつも「シャ--」

って漕いでた。

その太ももはそこら辺のねぇ-ちゃんのウェストより太かった。

酒癖が悪く酒で何度もトラブルを起こしていた、また子供だけでなく母親にも暴力をふるっていた。

そんな親父にとうとう愛想をつかし母親は親父と別れ僕たちは母親の郷里だった鹿児島に移り住んだ。

間もなくして親父も競輪をやめ追いかけるように同じ郷里だった鹿児島に越してきた。

別れても親子の縁は別なのかしょっちゅう訪ねてきては、やれ「成績表を見せろ」「テストを見せろ」と

言ってその度にゲンコツが飛んできた。

僕たち兄弟はいつもアザだらけで、親父を恐れ泣き叫び逃げ回っていた。

 

 

僕がたしか高校にあがったばかりの頃

この日も親父が訪ねてきて「成績表を見せろ」とガミガミいつもの説教がはじまった。

何を思ったか僕は突然親父の胸ぐらを掴むと「うっせ~んだよ」と言って突き飛ばした。

親父は、よろよろ~と2~3歩後ずさりをすると、へなへな~と腰が砕けたようにその場に

尻もちをついた。

その瞬間あの「鬼のような形相」がなんとも情けない表情へと変化していった。

 

ちっちゃくみえた。・・・親父がものすごく ちっちゃくみえた。

 

あの筋肉粒々だった身体も今ややせ細り、ガタイも上背も僕が上回っていた。

親父は一言も発することもなくやっとのこと立ち上がると背を向け帰っていった。

がっくりと肩を落としうなだれて帰っていく姿・・・親父を見たのはそれが最後だった。

 

 

僕が二十歳になったとき、神奈川の学生寮に突然親父が訪ねてきた。

旅行にでも行くのか大きなボストンバックに山高帽の帽子をかぶりよれよれのスーツを着て

寮の玄関にポツンと立っていた。

僕はちょっと感情的になり「何しに来たんだ」と強い口調で言うと

「元気にしているか顔を見に来た」と言うと「じゃぁな」と言って背を向け帰っていった。

それは高校の時、最後に見たあの情けない親父の背中と同じだった。

 

 

それにしても鹿児島から神奈川までわざわざ何しに来たんだ。

なんで僕の居場所を知っているんだ、きっとお袋にでも聞いたんだろう。

 

 

「205号室 〇〇さん お電話です」

 

頭の中に白い靄がかかり、ボ~っとしていた

まるで深い深い森の中をあてもなくさ迷い歩いているような感覚。

 

「205号室 〇〇さん お電話です」

電話かぁ~

当時、携帯もない時代 寮のロビ-の管理人室に置いてある電話まで行き出るとお袋からだった。

 

 

「もしもし 今ね警察から電話があって」

 「とうちゃんが・・・死んだって」

 

 

「えっ?・・・」

 

「だって・・・}

 

「親父は・・・今・・・ここに来てたじゃないか」

 

 

葬儀の後親父が住んでたアパ-トに行ってみた。

薄暗くカビ臭い風呂もない安アパ-トで誰に看取られることなく一人ぼっちで死んだ親父

押入れのダンボ-ルの中に大事そうにしまってある僕ら兄弟の思い出の品々。

死んだ人の悪口は言うもんじゃないってわかっているけど。俺は言う。

 

「親父よあんたの人生なんだったんだ?人は死ぬときプラマイゼロって言うけど

あんたの人生プラマイゼロっだったのかい?」

 

「あんたのおかげで子供たちの育て方がわからなかったぜ。

  幸い曲がることもなく育ってくれたけど」

 

俺は親父からいっぱい愛情を注いで欲しかったとは言わないが・・・

せめてスプ-ン一杯分くらいの愛情をくれてもよかったんじゃないのかい?

 

 死に際に亡霊になって、俺に会いに来るくらいなら。

 

 

 

 こんな 父~ちゃんが欲しかったぜ。

 

 

 

 

大阪の悪口言って・・・・ごめんね、ごめんね~。

 

めっちゃすっきゃで~大阪 (もう遅い?)←のりつっこみ。www。

 

 

 

通天閣・・・・何度見てもペットボトルにしか見えへんのは俺だけ?

 

左からサイダ-・リンゴジュ-ス・緑茶・そしてぶどうジュ-スや~。

 

アッ! また悪口言ってもうた。イヒッ。