震災から6年
早いものですね。
大型クレーンのオペレーターの主人が
復興支援の為、毎年気仙沼に出張するようになりもう5年目です。
毎年、10月〜1月まで気仙沼の
復興支援村に寝泊まりしながら
復興作業をお手伝いさせてもらってます。
主人が震災後初めて
東北へ行き出張から帰ってきた時
「想像以上だったよ…」と
沢山自分で撮った画像を見せてくれました。
うちの主人はもともと涙脆い人ですが(笑)
「マジで…泣きそうになるよ」と言いながら
ちょっと涙ぐんでました。
きっと
その場に行かないと分からない
悲しさや、虚しさがあるのだろうな…
きっとみんな頑張ってるんだよな…
と感じて
主人が東北へ行くと聞いたとき
「まだ余震とか危ないよね⁇
放射線とか大丈夫なのかな⁇」と
正直、少しでも行かない方がいいんじゃないかと思った自分が恥ずかしくなりました

主人が寝泊まりするところも
仮設プレハブで隙間風が凄いらしく
「寒くて眠れない」
「地獄の寒さだよ‼︎」
とよく電話をもらいました。
東北で被害に遭われた方々もきっと
同じ境遇(もしくは更に過酷な状況)
で生活されていたのだと思います

コレ↓(防寒具)を送ってくれと指示が来ます。
今では毎年10月になると
「そろそろ東北出張だな」
と思い、防寒具を準備するのが
習慣になりつつありますが…
でもきっと
主人がこうして実際被災地で
復興支援に携わることがなければ
毎年、こんなに震災の事を思うことは
なかったのかもしれません。
毎年、出張から帰ってきた主人が
「ここはもぅだいぶ綺麗になってたよ
」

「今年はプレハブじゃなくて、ちゃんとアパートみたいな宿泊施設になってたよ
」

とゆっくりでも確実に復興してゆく東北の様子を教えてくれます。
それを聞いて
一緒に喜べるのも
主人が震災復興に携わらせてもらえるからだと今では、その機会をありがたく思えるのです

きっと
わざわざ鹿児島から主人が行くのも
何か意味があったのかもしれないし

あと何年、復興支援の出張に行くのかは
分からないですが、遠く東北で
復興支援作業をしている主人を元気づけるのが(まぁ、最初の数年は泣き言電話がよくかかってきたものです
)私のホントにささやかな復興へのお手伝いだと思ってます。

そして
ささやかながらyahoo検索で募金。
出来ることなら
大船渡や気仙沼が(主人の行く現場)
元の街並みに近付くまで
毎年、微力ながらも復興に携わらせてほしい
と主人は言います。
いつもソファで
鼻◯ソほじってばかりの主人ですが…
手がけた復興作業の最後をその目で見たいと
願う気持ちはちょっとカッコいいなと思います

今年も10月になったら
「頑張ってきてね」と送り出そうと思います

きっと被災地では
「もう6年」ではなくて「まだ6年」
なのかもしれないからずっと忘れずに
いなきゃいけないな…なんて思ってみたり。
自分達が
1日1日を楽しめること、生きていけること
は当たり前のことじゃないから
後悔しないように
目の前の事に
ひたすら一生懸命に
生きて行けたらと思います

今日は
何か普通の記事が書けなかったので
こんな感じになりましたがすみません💦
また明日からは
皆様のお役に立つような
記事をかければと思います



鹿児島県霧島市
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