こんばんは
「色と形」で貴方も愛され体質に

鹿児島県霧島市の
パーソナルカラー診断&骨格診断サロン
R.LABOのRiukoです
今日は
弟と久しぶりにたくさん話をしました
私は四人兄弟の一番上

なぜか仕事の話になり…
そして「学歴」の話に

実は私…
最終学歴は「中卒」です。
中3の一年間
海外ボランティアをしていた母の影響で
アメリカに一人で行き、アメリカの学校に通っていました

誰も日本語が通じる人がいない状態だったし、私も英語なんて話せなかった為
2週間くらいは
ステイ先の部屋に引きこもりましたが(笑)
そのうち英和辞典を片手に学校に通い
(負けてたまるか~って思ったんです(笑))
学校で美術の課題の絵を描いたら
優秀賞を頂いて…
それをきっかけに
友達も沢山出来て

日本に帰りたくないなと思うほど(笑)
日本に帰ってきたら
中3の日本での勉強がスッポリ抜けて
いるので高校受験ならず!!(笑)
私は
アメリカ生活で価値観が180度
変わっていたため…
そもそもその当時は高校に行く選択肢
は私の中に無かったし、両親も強制しなかったので、そのまま15才からバイトをしながらアパートで1人暮らしをしました。
よくよく考えれば
珍しいことしていたんだな私
とか思ってみたり…(笑)
アパレルに興味を持って
沢山面接に行きました

何故か、どうしてもアパレルで働きたかったんです。
まだ17才だったし
社会の常識も知らなかった私…
ほとんどの面接を落ちました(笑)
大手アパレル、ユ○○ロの面接では
面接が始まって2分、担当者に
最終学歴を聞かれ「中卒です」と言うと
(嘘はつきたくなかったので)
「お帰りください」
と面接を打ち切られ
悔しくて泣きながら家に帰ったこともあります(笑)
今では笑い話ですが(笑)
その当時は
高校に行かなかったことを後悔していたし
コンプレックスでしたね。
「学歴が無い分、何か得意な事を見つけよう!!」
と思っても何が好きなのか分からず
バイトだけの収入で、1人暮らしもカツカツ状態

そんな時
何の気なしに目に入ったチラシ
「カラーコーディネーター養成」
昔から絵ばかり描いていて
全く言葉の分からない中で通った
アメリカの学校でも美術だけはA+(最高評価)だった事を思い出し
何となく…
「私の得意な事はこれかも」
と思って、
少ない貯金を全額はたいて
すぐに勉強し始めました
色の勉強は
それはもう楽しかった

1年後
カラーコーディネーター1級を取得し
再びアパレル面接に挑戦
やはりどの会社も「高卒」が条件でしたが
「色の資格」を持っているし、そんなにアパレルで働きたいなら…
と鹿児島アミュプラザの店舗が
採用して下さった時は嬉しかった

それから十数年
結婚しても、まだまだ色を学び続けて
今に至ります

今でも
色とアパレルを自分の仕事としています

人生って
どうなるか分からないから面白い
きっと
アメリカで過ごした経験も…
(得意なものを知った)
面接に落ちまくったことも…
(学歴をコンプレックスに感じ、色と出会うきっかけになった)
やっとの思いで受かったアパレルも…
(服への思いが強くなった)
15才からしていた1人暮らしも…
(自分で全てしなければいけなかったので
行動力を養えた…)
全部全部
意味があって
無駄なことなんて何も無かった
と思えるから不思議です


そう思うと
苦しかったり、悔しかったりした
過去の自分の生活が…
今の
好きなことを仕事に出来る
喜びを知った私の為に
準備された道だったのかな
とさえ思えてくるから面白いもの

私は学歴は無いけれど
周りが高校に通っている間に
沢山の経験を得れたことを今では
少し誇りに思うのです

『なんか、仕事このままでいいのか悩むんだよね…、でも俺も学歴無いし、今から転職してもなぁ…』
と悩んでいた弟に
『大丈夫よ♪♪学歴なんて関係ないし、無駄な経験なんて何も無い。仕事も人生も自分が望むようになるものだよ♪♪』
と
だいぶアバウトなアドバイスをしてしまった私ですが…
本当にそう思っているので(笑)
弟はビール飲みながら
『だねっ(笑)

と言って帰っていきました

(言いたいことが伝わったかはわかりませんが、伝わったような気はしてます(笑))
自分の今までを思い返していたら…
『私も初心に帰って、もっともっと楽しんでみよう

と思えた時間になりました

明日は、楽しみにしていた学びの時間

次はどんな経験が私を待っているのか楽しみです

最後までお読み頂きましてありがとうございます

明日も皆様にイイコトありますように

