平成7年12月20日

丸善ライブラリー

 

 

上野の国立西洋美術館が、松方コレクションを母体としていることはご存知の方も多いと思います。

 

この松方コレクション、西洋美術館にあるだけじゃなくて、もともとはもっとたくさんあったそうなんですね。

 

そもそも松方さんという人は、川崎造船所の初代の社長さんで、莫大な資金を投じて、西洋の美術品を買い集めたのだそうです。

 

松方さん

フランク・ブラングィン(1867-1956年)
〈松方幸次郎の肖像〉1916年/国立西洋美術館

 

 

それも美術に関心があったわけではなく、暇つぶしに始めたところ、すっかりはまり、日本に西洋美術の美術館をオープンするという夢を抱くようになります。

 

ところが、世界恐慌によって本業の経営が傾くと、国内にあったコレクションは売り立てに出されて散逸。

 

8,000点の浮世絵だけは皇室へ献上され、その後、帝室博物館に移管され、今日、東京国立博物館で見ることができます。

 

 

よかったよかった。

 

 

海外で保管されていたコレクションも、ロンドンでは焼失し、パリにあった400点以上は、敵国のものとしてフランス政府に接収されるなど、さんざんです。

 

戦後、日仏の交渉によってようやく返還の道が見えてきます。

 

それでも、返してくれないものもあったり、返還の条件が西洋美術の専門美術館をつくることだったり、なかなか大変だったようです。

 

国も美術館のために十分な資金を充てられず、民間企業などに寄附してもらい、そのお返しに日本人画家が描いた絵を贈ろうということになったとき、「何かというと作品をタダで持っていこうとする風潮はけしからん」と、一部の画家から反対論が起こったそうです。

 

 

すると連盟会長だった安井曾太郎がスッとたち、「皆さんの言うことは良くわかる。しかし、松方コレクションが返ってきたとき、だれが一番恩恵を受けるのですか。日本国民全体ではあろうが、直接的には我々美術家ではありませんか。ほかの場合とは違い、今回、我々が協力するというのは、あたり前じゃないでしょうか」と、静かに意見を述べた。

 

 

本書では、松方さんが直接、モネの家に作品を買い付けに行ったときのエピソードも紹介されていました。

同行した矢代幸雄さんによると、「松方とモネは大変気が合」ったそうです。

 

そのとき、モネは、赤茶けたアメチョコ色で柳の幹を描いていたそうです。

矢代さんが思わず「この色で良いのですか」と聞くと、「モネは愉快そうに笑って」こう答えたそうです。

 

 

君たちが今、非常に美しい色だといって褒めてくれる私の昔の絵も、それを描いた時分には、人々は変な色だ、変な色だと非難していたよ。だからこの作品の色も、君は変だというけれど、将来は、実に美しい色だというようになるよ。

 

 

 

矢代さんも、後日、モネの先見性に驚いたそうですが、この間、モネ展で見た赤茶色は、「実に美しい色」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おつき合いありがとうございます。