医学書院
すらすら読める本ではありませんでした。
著者はドキュメンタリー作品を多く手がける映画監督で作家でもあります。
冒頭、叙述されるのは、精神科で意識を失い、そのまま入院となった母親に付き添うことになった10年以上前の記憶です。
振り返ってみたいと思い今回改めて調べたら、わたしが母に付き添っていた日々はたった数週間だった。わたしは数か月の期間だと思っていたし、記憶の中では永遠とも思える時間だった。
世界でいちばん憎くて、世界でいちばん愛している人
ヤングケアラーということばを聞くようになったのはいつ頃からでしょう。
著者自身も「それ」には違いないのですが、自分が「そうだった」と言われたとき、どこか寂しかったと言います。
母と自分の個人的な体験を一般的な言葉で括られたことへの違和感だったのでしょうか。
筆者は、母親が躁鬱を繰り返していたと認識したのは大人になってからで、子どものころは「溌溂としている母と、死んだように寝ている母のはざまで、ただ戸惑っていた」といいます。
彼女は、自分と同じような経験をもつ人の話を聞こうと、インタビューを試みます。
取材を引き受けてくれたのはマナさんとかなこさん。
ほかの人は話してくれたものの、記事にすることはやめてほしいと言ってきたり、そもそも取材に応じてくれなかったりで、企画は難航しました。
離れたいけどいざ離れてしまったら、離れたことへの罪悪感が自分をむしばむ。自由になりたいけれど、自由になってよいのかと自分を責める気持ちがわきおこる。
わたしが誰かわからない
ヤングケアラーの一つの特徴は、自分の願望や欲望よりも先に病気の家族の願望を優先してしまい、しまいに自分が何を求めているのかわからなくなるということである
取材に行き詰まり、書くことを一時中断した後、著者の思いがつづられます。
世界の精神病床の5分の1が日本にあることなど、精神医療の問題点も指摘されながら、ヤングケアラーという言葉の軽さなど、考えさせられる記述が続きます。
自己消滅と自己保存
「ケアをうまく成就できるということは、病気の家族の変化に反応するすばやい共振性を有しているということであり、外界に対してあまりに無防備であるともいえる」と、著者は言います。
「つまりケアを成就できる主体というのは、あらかじめ固まることを禁じられ、環境によって変化する可逆性を持っているということ」だと。
子どもとは、そもそも自他の境界があいまいな存在で、そのときに自分の感情というものを優先することができなかった経験というのは、そうでなかった人との大きな違いを生み出すことでしょう。
それでも、筆者はヤングケアラーという自らの経験を否定的に捉えているようには思えませんでした。
今、現実問題として苦労している若者のことは思いやりつつも、「犠牲」という言葉を表層的に悪いものとする風潮などに抵抗しているようにも感じます。
「毒親」「親ガチャ」などの安易なラベルづけで、「加害者」と「犠牲者」という単純な構図をつくり出してしまうことへの警鐘にも気づきました。
わかったふりはできない。
アンタッチャブルにすることでタブー視され、逆に神格化もされる概念に冷静な認識を与えたい。(~中略~)誰も触れてこない問題の奥には、沈黙した、いや沈黙させられている無数の人がいる。
「ヤングケアラー」という言葉にまとめられた一人一人の暮らしがあるということぐらいは、しっかりと受けとめたいと思います。
おつき合いありがとうございます。