富山房インターナショナル
葛飾北斎『神奈川県沖浪裏』(富嶽三十六景より)
「世界的を驚愕させた」と本書で述べられている「北斎の波」を有名にした2人の人物のお話です。
「波の伊八」の異名を持つ武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)は江戸後期の彫刻師。
特に「波」が有名で、「関東へ行ったら波を掘るな」と、彫工たちに伝えられたほどの腕前だったとか。
この人が彫った『波に宝珠』という作品は、並べてみると、北斎の『神奈川沖浪裏』とそっくりです。
北斎が伊八の作品に影響を受けているのではないかと、筆者は想像するわけですが、無理もない。
伊八がこの波の表現をものにするまでの試行錯誤も紹介されますが、漁師に頼んで船に乗せてもらったり、馬に乗って沖合に出て、水面から横波を見ようとして大波にさらわれたり、命がけです。
サーフィンなどない時代、たしかにここまでしないと、あの波は見えなかっただろうと、素人の私でもハッとします。
「北斎の波のルーツは伊八」説をとなえる人はほかにもあるようです。
直接的な証拠は残っていないものの、北斎と伊八が出会っていたかもしれないという想像はロマンです。
伊八が北斎に影響を与えていないとしても、優れた彫師であることはその作品を見るとわかります。
お寺や神社の欄間などに彫られているため、一堂に集めて展示ができないなどで、知る人ぞ知る存在だったのですね。
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さらに、北斎を欧米で一躍有名にした立役者として、明治期にフランスで活躍した林忠正が紹介されます。
当時、日本の浮世絵にびっくりした海外の人たち。
人気になった浮世絵には粗悪なものも混じっていました。
その中で、林忠正は仕入れたものに印を押して、品質を保証し、絵のわかる人に販売したようです。
モネの家に飾られている浮世絵の幾つかには、忠正の印があるそうです。
フランスでは浮世絵が尊重され、その芸術性は高く評価されている。今日本人が浮世絵の高い芸術性に目覚めなければ、数年のうちに浮世絵は日本から失われるであろう。(林忠正)
大英博物館のキュレーター、ティム・クラーク氏の「北斎のグレートウェーヴは、欧米ではモナ・リザと同じくらい有名です」という言葉が紹介されていますが、その人気の背後にある2人の人物。
波の伊八の影響はまだ想像の域を出ないようですが、楽しく読めました。
おつき合いありがとうございます。