新潮文庫
前に手に取ったのは、前にというにはあまりに昔、中学生ぐらいのときでしょうか。
九州から出てきて、都会に驚く三四郎に退屈し、挫折したのは「轢死」のあたりと、今回、読んで思い出しました。
「あれ(富士山)より外に自慢するものは何もない」とか、「これからは日本も段々発展するでしょう」という三四郎に「亡びるね」という広田先生の言葉は全然記憶にありませんでした。
◇◇◆
団子坂へ菊人形を見に行く場面があります。
三四郎が、気分が悪くなった美禰子と連れ立って歩くところにこんな記述が。
谷中と千駄木が谷で出逢うと、一番低い所に小川が流れている。
ここにも川があったんですね。
広田先生も、「江戸から続く古い建物の隣にレンガ造りの新しい建物が建っているのが馬鹿げている」というようなことを言っていますが、川もそのうち埋められたんでしょう。
◇◇◆
最後まで読むと、意外と切ない気持ちになりました。
「あなたは団扇を翳して、高い所に立っていた」
「あの画の通りでしょう」
「ええ。あの画のとおりです」
美禰子が口にする「ストレイシープ(迷い羊)」とは、三四郎のことなのか、彼女自身のことなのか。
それとも誰もがそうなのか……
読後も余韻が残ります。
おつき合いありがとうございます。