羊飼いは群れる羊のためではなく、群れの所有者のために働いている

 

 

言われてみれば当たり前ですが、羊飼いというと、なんとなく親切なものだというイメージがあります。

 

群れの主人が愛情をこめて羊を気遣うこともあるかもしれませんが、彼らが羊を飼っているのは、それを利用するため。

 

本書の副題は「私たちの社会と生活を破壊するエリート民主政治と新自由主義」

 

著者のマウスフェルトは、ドイツ・キール大学の名誉教授で、知覚と認知心理学が専門です。

 

 

群れの所有者に例えられているのは、巨額の資本を所有する少数の見えない存在。

 

彼らは、羊飼いとして政治家や官僚を用いて、大衆を彼らにとって脅威のない羊の群れのようなおとなしい存在につくりかえてきました。

 

メディアや教育が富裕層の目的に貢献し、大衆は自分がだまされていることに気づきもしないというのです。

 

 

事実を細切れにした、あるいはフィルターのかかった報道などによって、私たちは多くの情報に接しながらも、決して実態には迫れないというのは、実感としてわかるところです。

 

 

支配者が望むのは、羊たちが政治に関心を払わず、日々の暮らしに明け暮れ、問題に気づかないこと。

 

 

政治に関心を持ち、現状をなんとかしようとする勢力を分断するため、彼らを「ヤバい人たち」と認識させる、あるいは互いに対立させることは、支配層の常とう手段のようです。

 

 

心理学の知見を駆使し、人間というものを研究し抜いて支配を推し進める彼ら。

 

 

その巧妙な手口に気づくことが、支配を抜け出すためのはじめの一歩なのでしょう。

 

 

教育制度は本当の知識を伝えるためでなく、民衆を支配者の意思に従順にするために開発された。学校で用いられる欺きのシステムがなければ、民主政治の体裁を保つことはできないだろう。一般市民が自分で考えることは望まれていない。自分で考える人は扱いが難しいと考えられているからだ。考えるのはエリートだけでいい。ほかは言うことを聞き、羊の群れのように指導者に従う。この教義が、民主政治においても、あらゆる国家の教育制度を腐敗させた。―バートランド・ラッセル(1922年)

 

 

今日では、政治的プロパガンダは非常に洗練されて、ほぼ目に見えなくなったのと同様、教育制度のプログラムも繊細になり、ほとんど認識されなくなったと筆者は言います。

 

 

 

2022年11月30日

日曜社

 

 

 

 

 

 

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