ときは1934年、春の宵です。

セーヌ川の橋の下で眠る浮浪者の一人に、ある紳士が声をかけます。

200フランを受け取ってほしい、返済については、都合のいいとき、サント・マリー礼拝堂へおさめてくれればいいという申し出です。

 

そういうことならと受け取ったお金ですが、この男は「正真正銘の飲んだくれ」

なんだかんだもらったお金を飲んでしまいます。

さて、返済はどうしようというと、次々に奇跡が起こり……

 

 

訳は、ドイツ文学者の池内紀さんですが、舞台はパリ。

作者のヨーゼフ・ロートは、1894年生まれのオーストリアの作家です。

 

1933年1月、ヒトラーが政権につくやいなや、ユダヤ系のロートは、ベルリンを発って亡命の途につきます。パリ、スペイン、ウィーンを経て、再びパリへ。

 

最終的にはトゥルノン通りに行き着いたと、池内さんの解説を読んでわかりました。

 

ロートは「誰よりも早くナチス・イデオロギーの危険を」語り、「いずれその狂信的な信奉者が全ドイツを制することを、いち早く見通していた」と、池内さんは言います。

 

本書には、ロートのデビュー作と最後の作品、中期の3篇の計5篇がおさめられています。

 

・第一次世界大戦の帰還兵を主人公に、ナチス台頭前夜を描く「蜘蛛の巣」

・給仕女との愛を描く「四月、ある愛の物語」

・堅実な駅長の恋を描く「ファルメライヤー駅長」

 

・オーストリア帝国が崩壊してもなお、皇帝を崇拝し続ける貴族・モルスティン伯爵を描く、「皇帝の胸像」は、多民族が共存していたオーストリア君主国に、郷愁を抱き続けたロートの心情がよくわかる作品です。

 

 

オーストリア帝国の崩壊や、民族主義の台頭に絶望感を深めたロートは、次第に深酒をするようになります。

 

カフェで書き、酒場で書き、「酒場からホテルにもどるとき、亭主にせびって一瓶を抱えて」帰り、その瓶は翌朝には空になっていたというロート。

 

池内さんも書いてるんですが、デビュー作の「蜘蛛の巣」は、はじめはちょっと読みにくくて、途中からどんどんうまくなるのがわかります。

 

「くどいほどの饒舌スタイルがふつうのヨーロッパの作家のなかで、ヨーゼフ・ロートはきわ立った例外」と池内さんが言うように、読んでいて気持ちのよいテンポで話が進みます。

さらっとした雰囲気も、大人の小説という感じがしました。

 

 

2013年4月16日
岩波書店
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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