暴かれた墳墓(モヒラ)(より一部抜粋)
静けさにみちた世界
愛するふるさと
わたしのウクライナよ。
母よ、あなたはなぜ
破壊され、滅びゆくのか
こんな言葉ではじまる詩集に、思わずドキッとします。
書かれたのは1844年2月19日。
ウクライナの詩人・画家、タラス・フルィホーロヴィチ・シェフチェンコ(1814-61)によるものです。
シェフチェンコはキーウの南方モーリンツィ村で生まれ、幼くして両親を亡します。
その後、地主パヴロ・エンゲリガルトの召使として、現リトアニアの首都・ヴィリノに送られたそうです。
画才に恵まれたシェフチェンコは、多くの詩人や画家に才能を認められ、彼らの尽力により、農奴身分から解放され、ペテルブルクの美術アカデミーに入学を許可され、画業に励むことになります。
詩を書くようになったのは、その少し前からのようで、1840年にはウクライナ語で書かれた第一詩集『コブザーリ』を発表して、ウクライナ人の地主や貴族を中心とするサークルで高く評価されたそうです。
しかし、スラヴ諸民族の友好と団結を図ることを目的とした団体にかかわった疑いで、逮捕されます。
メンバーの中でもっとも重い判決(オレンブルク国境警備隊に無期流刑、「書くことと描くことを禁止して最も厳しい監視下に置く」)を受けたのは、反逆的な『詩』を書いたとみなされたことも理由の一つだったようです。
その詩は、力強く、心をゆさぶります。
三年
一日一日は 過ぎゆくさまもわからぬほど
ゆるやかに流れて行くのに、
歳月は、良きことのすべてをともなって、
矢のように飛び去る
気高い想いを奪い取り、
わたしたちのこころを
冷たい石に叩きつけて打ち砕いては、
歌うのだ、アーメンと。
(中略)
往く年の古着をまとった
新しい年を、ようこそ。
つぎはぎだらけの袋につめて
おまえはウクライナに何を運び込むのか。
「新しい法令という産着にくるまれた
安穏な生活。」
行くがいい、そして忘れずに
貧困に挨拶を送りたまえ。
(1845年12月22日)
手書きで写された作品が知人から知人へと広まり、また外国で出版された一部の詩がひそかに国内に逆輸入され、その存在は早くから知られていたといいますが、完全な形で出版されたのは詩人の死から百年以上後だったとのことです。
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