『老人と海』
老人が浜辺でひがな一日海を眺めている話と思ったのは私だけでしょうか。
浜辺で海を眺めてるどころか、この老人、遠海へ出ていって、大きな魚と格闘します。
老人は漁師です。
84日不漁が続き、はじめは一緒に漁に出ていた少年も親の言いつけでほかの船に。
「おとっつあんだよ、いけないっていったのは。ぼくは子供だ。いうことをきかなくちゃならないんだ」
「わかってるよ」老人はいった、「そういうものさ」
「おとっつあんには人を信じることができないんだね」
「そうだ」と老人はいった、「だが、おれたちにはそれができる。そうじゃないかね?」
ここで出てくる「人を信じることができない」という表現
別の訳では「「親父はすぐに疑ってかかる」(小川高義訳/光文社)
「すぐ気が変わるんだ、うちの親父」(高見浩訳/新潮社)
原文では"He hasn't much faith."
そのままだと「彼はあまり信仰を持っていない」でしょうか。
グーテンベルク21の野崎孝さんの訳は
「父さんには信念がないんだよね」
うん、これスッキリするね
訳によって随分印象が変わります。
それはともかく、ひとり海へ出た老人の網に巨大なカジキマグロがかかり、死闘の末、それを仕留めますが、今度はサメに襲われ、獲物は無残に食いちぎられていく……
その間、老人は少年がいないことをぼやいたり、カジキに話しかけたりしますが、決してあきらめない。
そんな老人がひと言
「漁師なんかにならなければよかった」
これにはちょっとびっくり
ずっと漁師として生きてきたのに「漁師になんかならなければよかった」
「人間になんかならなければよかった」みたいな話じゃないですか。
「生まれてこなければよかった」
そこまでは思わなくても「何で生まれてきたんだろう」
そんなふうに考えるときはあるものです。
だけど、そんなこと考えてたらやってられないから、ふだんは気にしない。
たいていの人はそうじゃないでしょうか。
老人もすぐに「いや、ちがう、おれは漁師に生まれついているんだ」と、自分の考えを否定します。
このおじいさん、ネガティブな考えが浮かぶとそれをすぐに打ち消します。
「もう考えるな爺さん」
「爺さん、もっと景気のいいことを考えたらどうだ」
魚なんか釣れないほうがよかった。そしてひとりベッドで新聞紙の上に寝ころがっていたほうがずっとましだった。
「けれど、人間は負けるように造られてはいないんだ」と彼は声に出していった、「そりゃ、人間は殺されるかもしれない、けれど負けはしないんだぞ」
あらすじだけは知っていても、自分で読んでみるとおもしろいです。
名作と言われるだけのことはありました。
朝聴くと気分が上がる曲
お読みいただきありがとうございます。