先月お亡くなりになった森崎和江さんの代表作『からゆきさん』(1976年)を読んでみました。
〈からゆきさん〉とは、唐天竺へ出稼ぎに行く人のこと。
明治の頃、貧しい日本からたくさんの人が外国へ行きました。
はじめは男性のことも女性のことも指したそうです。
それがのちに東南アジアへ渡る娼婦を意味するようになります。
多くは貧しい寒村の娘たちで、なかばだまされるように売られていきました。
森崎さんは、国境に売られたキミと南方で財を築いたヨシを軸に、当時の新聞記事を引用しながら、からゆきさんの実態を描き出します。
朝鮮鉄道の建設現場の進む先々に設けられた娼楼では、日本人の進出を苦々しく思う朝鮮人により、まだ十五、六の少女たちに対して屈辱的な行為が行われました。
貧しさゆえに外国に売られた少女たちという単純な話でもなく、明治から昭和にかけてのアジアの歴史に関わる大きな流れの中で起きた出来事でもありました。
なにしろ女たちを、その意思を無視して売ったり買ったりして金をもうけることが、おおやけにゆるされているのだ。売春宿から売春宿へと転売されて、そのたびに売春業者のふところをあたためさせ、借金にうもれて死ぬ女たちが満ちみちていた。
〈からゆきさん〉という言葉が、一般に知られるようになったのは、山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』(1972年)というノンフィクションがきっかけだったそうです。
『サンダカン八番娼館』は1974年、熊井啓監督により映画化されています。
こちらもプライムビデオで観てみました。
栗原小巻が演じる女性史研究家が、ボルネオの娼館で働いていたおサキさんから聞き取った話として物語が展開します。
からゆきさんだった女性を田中絹代が、その若いときを高橋洋子が演じています。
高橋洋子さんは作家さんとしてしか知らなかったのですが、体当たりの演技に圧倒されました。
映画の中で、「狭あいで、資源に乏しい日本」という言葉が出てくるのですが、それはそのとおりとしても、少女を売る理由とはならないでしょう。
〈からゆきさん〉という言葉は、のちに日本に出稼ぎに来るアジアの女性を〈ジャパゆきさん〉と呼ぶもとともなりました。
今もどこかで搾取されている女性がいるのでしょうか。
世界中のどこでもそんなことがなくなる日は来るでしょうか。
今の日本が、自分がとても恵まれているということを改めて感じます。
お読みいただきありがとうございます。