2011年4月、作家の富安陽子さんは、梅花女子大学で「児童文学作品制作」というクラスを受け持っていました。
その中に、きちんと背をのばし、教室の最前列の席に着いていたのが田村せい子さんです。
田村さんは、1942年、大阪市生まれ。
中学には20日ほど通っただけで、5月からうどん屋に住み込みで働きに出ました。
家は貧しく、姉も中学2年の秋から働きに出ていました。
田村さんが働かなければ、乳飲み子を含む6人の妹たちの食べるものさえ買えません。
田村さんは、その後も少しでも収入の多いところを探して職を転々とし、やがて結婚し、4人の子どもを育てます。
末娘が大学に進学したとき、〈やっと私の番が来た〉と、思ったのだそうです。
そこから夜間中学に通い、すぐに高校に通いたくなり、定時制高校を卒業すると、梅花女子大学心理こども学部こども学科児童文学・絵本コースに入学します。
卒業制作である本書の第1部『君子・その時代』には、田村さんの生い立ちから結婚までの半生がつづられています。
必修の体育で腰痛になり、持病の肝臓病で毎週点滴に通い、パソコンの授業に四苦八苦しながら「苦難の連続」だったという大学生活。
私は何をしているのだろう?何のために、こんな大変な苦労をして勉強を続けているのだろう?この年齢で、この先就職するわけでもないのに大金をはたき、家族に不自由をかけ、若いクラスメートの足を引っぱり、周囲にさまざまな迷惑をかけてまで―
その答えが、ゼミで文章を書く経験を積み、その総仕上げとしての卒業制作をまとめているうちにようやく見つかったような気がしたといいます。
私のたどってきた道には意味があった、これを書くことができたのだから。
そうだったのか、という深い納得が訪れました。
私は、気が済んだのです。
第2部には「青春の情景」と題して、8つの短編が載せられています。
指導した富安陽子さんが、メキメキと腕を上げたという田村さんの作品は、どれも完成されています。
私は特に、古びた公園の椅子が語り手の「ぼくがイスでなくなったとき」が印象に残りました。
「こんな、おばちゃんの書いた作品を読んでくれて、ありがとうね」という田村さんに「おばちゃんとか関係ありませんから。田村さんのことは同級生やと思ってます。田村さんの作品、ほんとうにおもしろいですから」ときっぱり答える若い同級生。
彼らにとっても、田村さんと同じ教室で学べたことは幸運だったと思います。
苦しいことや、つらいこと、納得のいかないことを文章にするとき、人間は自分を取り巻く現実を客観視しようとします。そのときやっと人は、自分の過去や、そして自分自身と向き合えるのだなと思いました。
文章を書くということは、人が生きるための力になりうるのだということを、田村さんは私に気づかせてくれました。それからもうひとつ―。
人間は、いくつになってからでも、学ぼうという意志を持っていれば成長できるのだ、ということも教わったのです。(解説/富安陽子さん)
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