著者はインドを代表する英字紙『ヒンドゥー』の特派員として北京に駐在した経験に加え、欧州連合(EU)勤務の夫の転勤でブリュッセルやジャカルタにも滞在経験のあるジャーナリストです。
本書は2016年から4年間、夫と2匹の猫、2人の息子とともに暮らした日本での滞在記です。
日本について筆者が知っていたのは、刀剣やウォークマンといった断片的で中途半端な情報で、「村上春樹の小説は何冊も読んできたが、だからといって現地の事情を知るという点ではほとんど役に立たなかった」
うん、わかってもらっちゃ困ります。
落とし物必ず見つかりますといったふつうのことから、金継ぎ(割れた器を漆と金で補修する技術)や座禅を体験して、日本文化を考察するなど、たいていの日本人はやらないよね、ということなどもやっぱりやるんですね。
訪問した日本の家は、ほのかな香りが漂う寺院とも、無印良品のカタログから想像する(中略)整理整頓ともかけ離れたものだった。
外国人だというだけで、レストランの入店を断られたり、温泉で分厚いマニュアルを渡されたり、電車で外国人の隣の席が空いていても座らないというのはよくある光景なんでしょうか。
日本の難民受け入れの少なさにも言及しています。
2019年1万375人の申請に対して認定されたのはわずか44人、2020年は3936人に対して47人が認定されています。
本書とは関係ないですが、ウクライナから避難してきた人は避難民という呼び方で難民と区別し、24日時点で719人を受け入れているという報道がありました。受け入れはもちろん歓迎ですが、ほかの国の人はだめなの?と疑問に思います。
日本人が意識していない排他性を指摘する一方、外国人受け入れ拡大に反対するのは、街の安全や清潔さが失われることへの恐怖心が一因だと認めます。
筆者自身、繁華街に出かける子どもたちに「気をつけるのよ、あそこは外国人がたくさんいるから」などと言うようになっていたといいますから、都会のど真ん中の村社会・日本のよさもあるのかもしれません。
カースト制度の国、インド出身の筆者の話はアイヌなどの少数民族、被差別部落出身者、帰国子女に対するいじめにも及びます。
日本人のなかにもさまざまな生き方があり、その過程でさまざまな経験があることもまた明らかだ。にもかかわらず、社会にはこの多様性を否定しようとする強い姿勢があるように見えた。「different」を表す日本語は「違う」だが、「(相手が)誤っている」という意味にもなることは、そうした姿勢を指し示しているかのようだ。
2021年8月に本書がインドで刊行されるとすぐ、アマゾンの旅行カテゴリーで売れ行きランキング上位につけ、一時は第1位の座を占めていたそうです。(日本語版は2022年3月発行)
筆者のもとにはインドの外に出たことのない多くの若者から、以前から日本に行きたくてうずうずしていたが、本書によってその思いが一層強まったというメールが届くそうです。
これまで世界各地で暮らしてきたが、日本ほど人びとが頻繁に歩みを止めて花の写真を撮る国はほかにみたことがない。
さまざまな暮らしを経験したインド人の、日本礼賛でも批判でもない、見たまま、感じたまま、考えたままをユーモラスに綴った興味深い内容です。
お読みいただきありがとうございました。