歌人で細胞生物学者の永田和宏さんが、人生の節目節目に歌人が詠んだ歌を紹介したエッセイです。
第一部 若かりし日々
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
吉川宏志『青蝉』
花水木の並木道が尽きるまでに告白しよう。そんな経験はなくても、懐かしい気持ちになる歌です。
人はみな慣れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
永田紅『日輪』
この歌は歌人が20歳のときに詠んだ歌だそうです。20歳の人も60歳の人も「慣れぬ齢を生きている」みんな自分の年齢と折り合いをつけようとしながら居心地悪く生きているのかもしれないとは、著者のコメントです。
我が為に花嫁の化粧する汝を襖の奥に置きて涙出づ
葛原繁『蝉』
花嫁が支度をしている気配を感じて涙する男。よっぽど惚れた女だったのでしょうか。その後の結婚生活がどうなったのか気になります笑
第二部 生の充実の中で
へらへらと父になりたり砂利道の月見草から蛾が飛びたちぬ
吉川宏志『青蝉』
妊娠・出産を経験しない男性は父親になる実感が伴わないといいますが、「へらへらと」というのがリアルです。
働くためそしてわづかに眠るため一日に二度わたる江戸川
田村 元『北二十二条西七丁目』
第三部 来るべき老いと病に
のび盛り生意気盛り花盛り 老い盛りとは言はせたきもの
築地正子『みどりなりけり』
階段の昇りは膝に障りなし「ワタシクダラナイヒト」降り難儀す
宮 英子『西域更紗』
宮英子さんという歌人はダジャレがお好きなようです。短歌の中にもこんなダジャレを入れてくるところがおもしろいです。「ワタシクダラナイヒト」実感してる人、いるかもしれないですね。
想い出せぬ名前はあわれ二駅を話しつづけてついに浮かばぬ
永田和宏『日和』
これはあるあるなんだけど笑
永田さんは、人の歌を読むことによって、自分ひとりだけでは到底経験できなかったような、人生時間に対する対処の仕方を目の当たりにすることができるといいます。
さまざまの困難の中でどうしても対処の仕方が見つからない時があるでしょう。出口が見つからず呆然とする時もあるでしょう。
そんな時、同じような局面で、自分とは違った感じ方、捉え方をしている歌に接することは、一歩前に踏み出すことをためらっているあなたの背中をそっと押してくれるはずです。
生き方のヒントを与えてくれると言っていいのかもしれない。
あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年
永田和宏『メビウスの地平線』
永田さん自身の若かりし日の歌です。
若い男性にとって女性の胸は永遠の憧れ。
恋人の胸に触れたい、しかしそれは「岬のように遠かった」ああ俺はいつまでも子供なのだと自己嫌悪に陥っている、そんなだらしない歌なんだそうです。
永田さんはこの歌をタイトルにして、歌人で妻の河野裕子さんが遺した日記と手紙からなる書籍を今年3月に出版されています。
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