コンビニのヘビーユーザーだった新聞記者が「コンビニ断ち」をし、さらに「脱スマホ」を試みた記録です。

 

朝は自宅から駅までの途中にあるコンビニに立ち寄る。暑い季節は飲み物を買い、花粉の時期にはマスクを買う。会社に着くと、社内にあるコンビニでコーヒーを買い、朝食をとらずに出社したときは朝食を、昼食時には昼食を、午後小腹が減ると、ヨーグルトやせんべいを買う。

 

こんな暮らしをしていた筆者が、2017年5月にコンビニをまったく使わない生活をはじめ、その後、スマホもなるべく使わないようになります。

 

 

第1章 コンビニ断ち

第2章 コンビニはインフラか

第3章 脱スマホ依存

第4章 便利さで失ったもの

第5章 時間の使い方

第6章 見直される「便利すぎる社会」

 

 

筆者の場合は勤務地が東京、もしくは大阪で、コンビニを使わなくても深夜まであいているスーパーが身近にあり、駅の売店でも買い物ができるなど、特に困ることはなかったようです。

 

スマホについては仕事柄、まったく使わないというわけにはいきませんでした。

それでも、なんとなく触ってしまうのをやめ、GPSに頼らないことによる「失敗」がかえって思い出深いものになることや、やたら写真を撮らないことによって、記憶に深く刻まれるなど、メリットが紹介されていました。

 

便利な道具がむしろ時間を奪うというのはよくいわれます。

気になったのは、「失われていくもの」としてあげられた「熟考時間」です。

以前なら、時間があれば、仕事のことやプライベートのことを考えていたものが、ついついスマホを見てしまう。

 

思い当たります。

 

「不便益研究所」の看板を掲げる京都大学・川上浩司教授が紹介されていました。

不便であるがゆえにもたらされた便益を「不便益」と呼び、その研究をしているのだそうです。

 

不便な生活は、社会が正常に機能しないとき、どうするかを考えるきっかけにもなります。

 

 

「ひとりで生きられると思い込んでいる人が増えていくのは、社会としてはまずいですよね。それができなくなったときにどうするのか。日々、不便な生活をして鍛錬する、と強調するほどではないけれど、便利なものがなくなったときのことを考える。単に便利だと享受しているだけだと、思考停止になってしまうように思う」   川上さん

 

 

便利さの代わりになにを失っているのか、時々考えたいと思います。
 

2020年4月15日発行

コモンズ

定価1500円

 

黒沢大陸(くろさわたいりく)

朝日新聞大阪本社編集局長補佐、書評委員。

1963年長野県生まれ。

主著「地震予知」の幻想: 地震学者たちが語る反省と限界

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。