「何?え?カメレオン?え?カメレオンじゃないか。生きてるの?」(本文より)
ある女生徒が持ってきたカメレオンをあずかることになった教師が、観察記でも書くのかと思ったら・・・
これは私小説、随筆?
中島敦といえば、『李陵・山月記』などの中国の故事を題材とした小説を書く人という印象しかないのですが、こんな作品があったとは。
横浜高等女子学校で教員をしながら、小説を書いていたという中島敦が、このときの経験も踏まえて書いたものなのでしょう。
内面のぐちゃぐちゃが、何とも言えないです。
現状に満足していないもやもや、才能があるからそう思うのか、若いときはそういうものなのか。
みんなは現実の中に生きている。
俺はそうじゃない。
かえるの卵のように寒天の中にくるまっている。
俺というものは、俺が考えている程、俺ではない。
俺の代わりに習慣や環境が行動しているのだ。
書くということは、どうも苦手だ。字を一つ一つ綴っている時間のまどろっこしさ。
その間に、今浮かんだ思いつきの大部分は消えてしまい、頭を掠めた中の最もくだらない残滓が紙の上に残るだけなのだ。
敦は、その後、学校をやめ南洋庁の官吏としてパラオに赴任します。
そのときに着想を得たと思われる2つの短編も収録されてます。
インテリの現地女性マリヤとの交流を描いた『マリヤン』
主人と下僕がいつの間にか入れ替わってしまう『幸福』
南洋から送った書簡を集めた『南洋通信』も読んでみました。
妻や子どもへの愛情にあふれる何通もの手紙です。
中島敦は、1947年(昭和17年)に持病の喘息のため、亡くなります。
33歳だったそうです。
残した作品はわずか20篇足らず。
その中でも私が読んだのはほんのわずかですが、魅力あふれる文章でした。
お読みいただきありがとうございました。