2020年10月15日、愛知県立一宮高校で行われた、哲学者の鷲田清一さんの講演会の記録です。

 

テーマは「ことば」について

 

 

ことばって面倒くさいじゃないですか

 

「みなさん。だれかとしゃべる、人と話すって、読むとか書くよりしんどくないですか?」と、生徒たちに語りかけます。

 

「しゃべりたくないときは黙っている、しゃべりたくなったら口をひらくのが一番ラクだと思うのに、なぜかいつもしゃべらないといけないような空気みたいなものがある。ぼくはそれを敏感に感じるほうです」

 

「ぼくは、ことばってすごく面倒なものだと思ってきた」という鷲田さんは、たいていの場合、ことばは過剰か過少であり、ピッタリ、ズバリがまずないと言います。

 

あんなことを言わなかったらよかったとか、もっと別の言い方をすればよかったとか、言った後で後悔ばかりしているというのです。

 

 

記憶は脚色される

 

「記憶って脚色されるんですね。語りの中で。辻褄をよりきちんと合わせるために、だんだん作り話のようなものを導入してきて、そして最後、じぶんが悲劇の主人公になる」

 

 

時間をあげる

 

「聴くということは、相手が自分を語り尽くすまで待つということなんです。いいかえるとつまるところ、聴くというのは「時間をあげる」ということなんです。これはことばでいえば簡単ですが、実はものすごくしんどいことです」

 

 


 

 

鷲田さんは1949年京都生まれ、大阪大学総長などを歴任後、医療や介護、教育の現場に哲学思考をつなぐ活動をされています。

 

鷲田さんのおだやかな語り口に、生徒たちが聞き入ってるようすが、本からもうかがえます。

 

80分の講演後の質疑応答や有志による話合いなども収録され、ことばについて考えながら、より大きな社会に対して、自分を広げていく、ひらいていくことの大切さを教えます。

 

 

最後に鷲田さんは、心がけてほしいたったひとつのこととして、こんなことをおっしゃいます。

 

 

できるだけじぶんと同じコンテクストの中で生きていないひと、生きてきた環境ができるだけ離れているひと、さらに言えば、じぶんでどんどん関係のコンテクストをつくっていける、ひらいていけるようなひと、そういうひとと話すよう、出会えるよう、心がけてほしいということです。

 

 

鷲田さんのように背景が離れた人から教えていただけるのも、また、読書の楽しみです。

 

お読みいただきありがとうございました。