アラフォー、独身、子どもなし。
毎朝6時15分に起床し、大手出版社で編集者として仕事をする。
そんな毎日に飽き飽きした筆者が、10年以上前に出会って大好きになった『枕草子』を書いた清少納言を求め、休暇を取って京都に旅するお話です。
とはいえ、筆者は日本語も話せず、『枕草子』について知っていることも、英訳されたものを部分的に読んでいるだけ。
『枕草子』はフィンランド語では訳されておらず、知っている人は筆者の周りには誰もいませんでした。
セイ、本当はね、私はあなたの本を全部読んでもいない。だって、まるでわからないことだらけだから。あなたが書いた人たちは誰?あの集団はいったい何?それにあの種々様々な官位。右大臣、左大臣、受領、上達部、殿上人、東宮、尼、天王、后、それに「三位の中将」って―せめて実名で書いてくれていたら、ちょっとはついていける人がいるかもしれない。
いや、しかし、日本人である私たちも、この程度の理解の人がほとんどじゃないでしょうか。
「春はあけぼの」ぐらいは暗唱できても、全段を読んだ人は少数派かもしれません。
筆者は言います。
セイ、あなたたちは歌を通して生きていた。
つまり、朝から晩まで歌、歌。
もし遠い世界の話のように感じられるなら、歌を「ショートメール」とか「ツイート」とか「フェイスブック」に置き換えるだけでいい。直接会って話したり、電話したりする時代がしばらく続いたけれど、今また、私たちはメール文化に生きている。
ショートメール、Eメール、フェイスブックは、恋が生まれたり、自分のオフィシャルイメージが作り出されるときの決定的な鍵となるだろう。気の利いたショートメールを受け取ったりしたら、返事はできるだけすぐに、同じ修辞法を使って返さなければならない。
普段の生活でもそういった状況はたくさんある―例えば、地方へ旅したり、初雪が降ったりすると―出来事をふさわしい文章でフェイスブックに書けることはきわめて重要だ。重要な出来事はメールなしに一つとして完ぺきではないのだ。
フィンランドから9月の京都にやってきて、暑くて何も考えられないという筆者。
吉田山のふもとに住み、町を巡り歩き、とりこになっていきます。
十二単を着てみたり、何とか清少納言に近づこうと様々な場所を訪れ、ついに筆者がたどり着く『枕草子』の真実とは。
日本で学んだいちばん大事なことはと、問われた筆者は答えます。
散った花は散っていない花と同じくらい美しくて意味があることだ
挿入される『枕草子』の抜粋は、英訳されたものがフィンランド語に訳され、この本のために再び日本の現代語に訳し戻されています。
そのためか、とても新鮮です。
二度目の京都を去る2日前の日、バーのカウンター席の隣に60代のサラリーマンが座った。
この大阪出身の弁護士は、筆者が日本で出会った『枕草子』を完読した、たった一人の日本人だったという。
495ページ、厚みにして3センチ。
ちょっとした枕にもなります。
2021年8月第1刷発行
草思社
定価(本体2200円+税)