大正12(1923)年9月、関東大震災直後の銀座にいち早く店を開けた料理屋があったという。
作中では「はち巻」と呼ばれるその店は、「はち巻岡田」として今も銀座で営業している。
この料理屋を舞台に、震災直後の人々が描かれる。
銀座で生まれ育った老舗の若だんな、山岸は、銀座は永久になくなったと嘆き、荻窪に引っ込んで土いじりを始める。
先生と呼ばれる老人は天罰だと言う。
政治家も腐敗しとる。実業家も腐っとる。あきんどは欲ばかりかわく。若い男は惰弱(だじゃく)になり、女どもは洋妾(ラシャメン)の真似をして得々たるものがある。外来の悪思想にかぶれた青年は、髪を長く延ばして露西亜を謳歌する。亜米利加の役者の真似をする。胸糞が悪くて見ていられん。
山岸の友人、作者の分身でもあるサラリーマンの牟田は言う。
成程、銀座は現在灰と土さ。しかし、地震の災害なんか直に忘れてしまうだろう。外科手術の痛さをいつまで記憶している者はない。社会は一度進んできた道を、決してあと戻りはしない。それが間違っていようが、損だろうが、破滅に転落しようが、いったんスタアトを切った以上は、ひたむきに馳足(かけあし)だ。
事が起こったとき、もうだめだとすっかり気力をなくす人と、これからだと前を向く人がいる。
小説が書かれたのは昭和7年。
「銀座の回復は存外早い。今度こそは以前にもまして立派な銀座になりかわる」と牟田に言わせた作者は、すでに復興を見ていたのだろうか。
2012年3月16日 第1刷発行
岩波書店
定価(本体600円+税)