近代詩伝道師でもあるPippoさんが、いろんな分野の11人に「特別な一篇の詩」についてお話を聞いたものです。
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西加奈子さん
茶碗の底に梅干しの種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
山崎方代
雑誌「an・an」で、短歌を詠むという連載を始めた頃、鎌倉の鎌倉文学館で掛け軸に書かれた歌を見たのが、西さんと山崎方代の出会いでした。
短歌を始めた頃、短歌は「答えがない」と言われるものの、この言葉とこの言葉は近いからよくないとか、いろいろ考えてた中で、山崎方代のストレートな表現に出会い、「むっちゃ嬉しかった」そうです。
詩歌に限らず、小説とかすべて、自分の言葉もそうですけど。断定することって、難しいじゃないですか。ダイバーシティがいい意味で進んでいるところもあるし。悪い意味では、断定がすごく危険、っていう。断定する勇気がなくなっていってて、自分もね。わたしはこうだけど、みんなはそうじゃないかも、みたいに、言葉として弱くなっていくんですよね。でも、そんななかで「ああこれが愛と云うものだ」って、すごく個人的な感性にもとづいた断定を見せられて、うれしかったんですよね。
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能町みね子さんの一篇は『泉ちゃんと猟坊へ』尾形亀之助(『障子のある家』後記)
「親」といふものが、女の児を生んだのが男になつたり男が女になってしまつたりすることはたしかに面白い。親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。夫婦関係、恋愛、亦々同じ。そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの。相手が嫌になったら注射一本かなんかで相手と同姓になればそれまでのこと。お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。
能町さんが出会ったのは大学生のとき。
近代詩の授業の中で高橋新吉とか、北園克衛、安西冬衛といった流れで出てきたそうです。
『障子のある家』は散文詩で、引用した部分は息子と娘への手紙です。
尾形亀之助は明治33年生まれですから、書かれたのは昭和初期、戦前。
Pippoさんも仕事柄、戦前の古い詩なども読んでいるそうですが、「お前達は自由に男と女にもなれるのだ」と子らに伝えるような詩を書いたのは、亀之助だけだと思うとおっしゃってます。
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穂村弘さんがあげたのは「サスケ」のナレーション。
光あるところに影がある
まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった
命をかけて歴史をつくった影の男たち
だが人よ
名を問うなかれ
闇に生まれ
闇に消える
それが忍者のさだめなのだ
サスケ
お前を斬る!
一遍の詩を問われて、これを出してくるセンスがいいですよね。
私は「サスケ」見たことないけど。(また若いフリ)
穂村さんがもう一つあげたこちらは聞き覚えがあります。
奥様の名前はサマンサ。
旦那様の名前はダーリン。
ごく普通のふたりは、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。
ただ一つ違っていたのは、奥様は魔女だったのです!
このナレーションは日本版オリジナルで原語版にはないんだそうです。
そして、あるときなくなってしまって、とても寂しかったと言ってます。
2020年10月20日 初版第一刷発行
かもがわ出版
定価(本体1800円+税)