「赤線」とは、「遊郭」が昭和21年ごろ、GHQの判断によって廃止されたのち、街娼の氾濫など、混乱する世相の中、集娼区域の必要性を改めて感じた政府がGHQに懇願を重ねて了解を取り付け、再び設けることを許された、事実上の公娼区域の俗称。

 

全国各地に置かれていた赤線区域は、昭和31年9月1日時点で1,176カ所。店の総数は1万5,262軒と記録されている。

 

赤線の時代の始まりから約10年後の昭和31年5月。難産だったとされる売春防止法が可決成立。昭和33年4月1日、売春防止法は完全実施されて、赤線と呼ばれた町は役目を終えることになった。(はじめにより)

 

東京 吉原、洲崎、新宿、千住

関東 川崎、曙町、船橋、川越、大宮

近畿 島原、、五番町、枚方、丹波篠山

 

娼館の面影が残る写真に短い文章が添えられています。

撮影されたのは、90年代でしょうか。

新宿2丁目などは様変わりしていますが、街路が区割りされているのは当時の名残ですね。

昭和5年6月時点で、53軒の店に555人の娼妓がおり、戦後は赤線に移行。

美形の女性が多かったので料金は割高だったとか。

 

京都の島原は1983年の写真が載せられています。

1997年にはそのころの建物はほとんど姿を消していたそうです。

 

地方に行けば、まだ残っている景色もあるのでしょうか。

 

昭和のモダン建築を記録する写真集としてもすばらしいです。

 

巻末特集は『墨東奇譚』を歩く

「わたくし」が歩いた道筋が検証されています。