昭和30年代、まだ若い石原裕次郎が読書について語ったとき、ヘミングウェイの著作とともに、愛読書にあげたのが福永武彦の『草の花』だったという。(木村凌二/日経新聞読書5.15)

 

読んでみました。

 

「私」がサナトリウムで知り合った汐見は、二冊のノートを「私」に託し、危険な手術に臨み、帰らぬ人となった。この二冊のノートには、汐見の後輩、藤木に対する愛と、その妹、千枝子への愛が記されていた。

 

語られるのは孤独、死、そして愛です。

 

石原裕次郎を知ったとき、彼は既に『太陽にほえろ!』のボスでした。(観てなかったけど)

当時、恐らく40代だった彼は、子どもだった私にとってただのおっさんでした。

 

石原プロ立ち上げ後の苦労や映画興行の失敗などの挫折と、晩年に苦しんだ闘病などを知ったのは、少し大人になってから。

 

亡くなったのは52歳、今思うと若かったんですね。

 

汐見の後輩、藤木に対する愛が描かれる「第一の手帳」に対して、裕次郎は「学生の合宿生活や、年下の友人に対する清潔な愛 情などが、非常に身近に感ぜられた」と共感し、「『草の花』の中には、ボクを成長させてくれ るいろいろなものを含んでいるように感じたのだった」と語っていたそうです。

 

後年の彼の心の中にこの小説があったのかどうかわかりませんが、若き日のスタアを成長させたと言わしめた本書は、やっぱりすごかったです。