第20回阿蘇カルデラスーパーマラソン100kmに出走してきました。

4回目の挑戦ですが、今年の阿蘇は、壮絶でした。
スタートから降り出した雨はものの15分で本降りから豪雨へ。一度あがって、また本降り。ウエアは当然ですが、ランパンもシューズも中までドップリと水が染み込み、いきなり重~い足かせとなりました。
最初のうち、エイドはパスして、必要以上には立ち寄らないようにしました。とにかく、今年の目標は昨年、目標達成できなかったサブ10。
10時間を切れれば、”御の字”。欲張らないように謙虚に行けば、道は開けるとの思いでスタートしたのです。途中、駆ける私を被写体にと、わざわざ熊本市内から雨の中、バイクで応援しにきてくれたK.I.さん。彼はグッドロケーションに先回りしてくれては、シャッターチャンスを待っていました。思わず、笑顔がこぼれます。何度も その姿に頑張らねばという思いになりました。

白川水源の辺りから継続した上り。いつものことながら、高森の21km過ぎて外輪山の下まではハーフマラソンのつもりで進みます。そして、歩きと走りを交互に400mの高さをわずか3kmも行かないうちに外輪山の上へ。上り下りの連続の阿蘇のコースは、足裏が勾配を感じ取ります。波野へ入ってからは曇っていたのですが、30kmを過ぎるとさすがに雨に濡れたシューズの中で5本指ソックスもずれてきて、マメができていることが分かります。我慢できるくらいでしたから、とりあえず、放っておきます。

どうにか、50km、4:24’01” これは出来すぎ。目標は、4:30’台でよいと計画していました。

昨年は、スタートから21kmの高森までと40Kmから50kmまでを飛ばし過ぎたツケが後半やってきて、60kmから先はジリ貧状態。
貯金を使い果たし、ゴールには10:18’台。せっかく、阿蘇を目指してトレーニングをしてきたのに、 冷静さを欠いた「レースマネジメント」をしたために、失敗した経験がありました。
一昨年、50kmの折り返しを4:20’~29’台で通過したランナーは、80%以上がサブ10でゴールできています。レースの女神はスルっと指の隙間から零れ落ちていったレースでした。

だから、今回は、そのモッタイナイ・レースをしてしまった経験を活かさないわけには いきませんでした。
50.8kmのレストステーションでは、那珂川RCのY.O.さんとほぼ同着。リポD2本を一気飲みして、汗拭き代わりのリストバンドを替え、ブドウ糖も後半用のものと交換。K.I.さんが構えるカメラの前では、つい笑顔になります。いつも10分近く居座るレストステーションも今回は3、4分程度で、すぐに出発。長居は無用です。
ウルトラは長い休憩の後が、だいたいしんどい状態になります。
カラダが休むことを覚えてしまい、なかなか前に脚が出てくれません。
50kmの部スタートを1時間半後に控えた松本さんと遭遇。お互い激励の握手。

ここからが勝負どころです。昨年と同じ過ちは繰り返せません。
何とか、歩きを最小限にして歩幅は小さくてもペースを変えないように、目線は長いこと下向きなのですが、それもほぼ習慣化。意外にもこの走法は、精神的にはラクなのです。
頭が前にでることから、 自然と脚も繰り出しやすい効果があると思います。また、上り坂を見なくていい、直線の長さにうんざりしなくていい、前のランナーを意識しなくていいなど、単調な路面を見続ける時間が多く、リズムは取りやすく、気持ちもまた、安定するので、走りには都合が良い状態です。

それでも、上りで脚が上がらなくなった60km付近、不安が頭をよぎります。そんな時、私の横をピッチでヒョイヒョイと上っていくランナーが声を掛けてきました。 前泊した九電の保養所で相部屋だったT.T.さんです。
「あれ」っと、思いましたが、「これは、ラッキー!渡りに船だ!」と心の中でかっさいを叫んだのです。T.T.さんについて行こう。
引っ張っていってもらい、また、調子がでてくれば自力走行可能だと思ったのです。実にタイミング良く抜いてもらいました。
前日 、「上りが得意だ」と話されていたので、坂道で歩かないだろうと、想像がつきました。こちらもそれに倣って上っていきます。
肉体的に一番つらくなるところを 引っ張りあげてもらったも同然です。
いくつかのアップダウンを繰り返し後、下りになって、脚もなんとか持ち直し、スピードアップもできてきました。

コースの中では、精神的にもレストステーションから85kmまでがきつい道程ですが、 特に60kmから80kmはLAPも落ち、前半の貯金を吐き出すところです。
まさに胸突き三丁ならぬ、胸突き30km。
不死鳥のように(おおげさの上にカッコ良すぎか!)甦ったのは、まさにT.T.のお蔭様。感謝しても、し足りない位です。

70km過ぎのエイド。K.I.さんと話しに気をとられ、水かぶりの際、エイドにサングラスを忘れた私を追いかけて、今度はN.O.さんが現れます。
「今、持って行きますよ」と、戻りかける私を制止して、彼が駆け寄ります。聞けば、昨年、10:10’台でゴール、今年はやはりサブ10狙いとのこと。
「一緒にサブ10行きましょう」と声を掛けると、「いやいや9:30’切れるでしょう」との返事。「すごい」と思いながらも、またまた握手。
その後、若さにまさる彼は、徐々に 前へ出て行ったのです。
N.O.さんがサブ10は楽勝だ、と言ってくれたことも大いに救われた思いでした。

80kmは合戦群へ上る坂の途中です。バテ始めていたのですが、山頂の方へ目を遣るとK.I.さんがカメラを構えています。もう、上り坂は、歩いて走っての状態です。
そして、カメラがあると分かっていても、笑顔も出ません。K.I.さんへの愛想もできません。苦しい表情をした正直な自分がカメラには収まったはずです。アミノバイタルProを飲もうとすると、胃の中のものが逆流してきます。すでに胃の中には水分しかないのかもしれません。
途中で梅干やわずかにバナナの切れ端を飲み下し、名物スイカのエイドでむしゃぶりついたくらい。合戦群から先はだらだらとした細い道、左手には阿蘇五岳が聳え、駆けてきた距離の長さが身に染みて実感できる時です。
今年は、目標のサブ10に向け何とか順調。その中で前にも後ろにも(後ろは見なかったが)ポツンポツンとランナーがいる程度。

それだけ、早く駆けれるようになったんだな、とも思える時です。
エイドでも、水も食糧もたくさんあるということは、自分が前の方にいることがわかります。それでも、全身に疲労が広がります。頭から水をかぶり続けるので、蒸発の際、気化熱が体温も奪っていきます。
それはそれで、体温上昇を抑えるのでよいのですが、癖のようになってくると、無駄に水をかぶり、時間を使い、挙句には、 ゴール後に体温調整不良に なる副作用があります。

いよいよ、象ヶ鼻からの下りに差し掛かります。下りでも歩く始末。
遠くにK.I.さんの影があります。それだけ分かっていても、何の反応もできなくなり、自分でも「走らなきゃ」とか 「ポーズをとらないと」・・・なんて、意識は消えてしまっています。持参した外郎(ういろう)(前回の萩往還で重宝したので、マラソン携行品に加わった 代物)を歩きながら食べます。
ありのままの自分でいい、という思い。無様な姿でもなんでも、撮られるならなんでも勝手に撮ってくれ、という感じになります。

素の自分・・・多分、80kmから先に、先にもうひとつ別の境地があること、何となくですが、 分かってきます。脚裏はすでに、最低でも3ヶ所マメができ、一部は破れているのがソックス越しにも分かります。ツメも左の人差し指がめくれて死んでいるのが脳には、はっきり伝わっています。
自分のカラダの状態は駆けていても、わかるようになります。

脚がゴールへ向かおうとする遺伝子の塊りと化しています。
究極のほしいものだけ、それもひとつだけを全てを賭して渇望する姿は、単細胞生物を 地で行くようなもの。滑稽でもあり、それがまた、新たな発見でもあり。

ここの下り始めの下界の景色は、いつもながら絶景です。水を張った幾百枚もの田んぼがパッチワークのようで、晴れた空をも照らします。
87km駆けた後、一気に 400m以上を下る時は後半一番のスピードです。脚への負担もピークになります。
駆け下りながら、サブ10は確信。だけど、9:47’台の自己ベスト更新はできるかどうか・・・昨年の悔しさを思います。四万十川での初サブ10の最後を思い出します。そのタイムを超えることができるか、微妙なところです。

なんとか、90kmの標識を下り、一般道へ出て、小川に沿って、田んぼの中へ。水路に沿って直線的に進むとT字路を左折、400mで95kmのエイドです。サロンパスの臭いが鼻をつくエイドの休憩も最小限、あとはたったの5kmです。苦しかろうが、痛かろうが、座りたがろうが、あと5km、たった5kmです。遠くに内牧の温泉病院の建物が見えました。どうにかあと2.5km。エイドまで待てずに歩きます。最後の水かぶり。

どうにか残り1.5km。「ここからは、歩かない。」そう決めて、前のランナーに付いていきます。20m前に一人。同じペースで走っているランナー。残り1kmの標識。あと5分。見慣れたゴール近くの風景。
ラーメン屋を過ぎ、前方の先に、スーパーマーケットの看板がわずかに見えます。ペースが上がります。前のランナーも同様。
パチンコ屋を過ぎ、残り500mの標識。ここを右折、直進。沿道には応援の人がいます。すでにゴールしたランナーも後続のランナーのゴール前のスパートを見にきています。

緑のウィンドブレーカを着た大会関係者が笑顔で、「おかえりなさい」と声を掛けてきます。分かるか分からないか程度でも、自分でははっきり意識して声援に応えている心地でいます。私の名前がスピーカーから聞こえてきます。
「554番、やすだ じゅんさん。福岡からの参加です。最後です、がんばってください」
その前からラストスパートのつもりですが、一層跳躍した走りです。
K.I.さんのバイク姿が見えて、手を上げます。笑顔に映ったかは、わかりません。右折して、40m。100kmゴールの掲示が見えます。
前のランナーを追って、今までで最も短い時間で100kmのゴールゲートを駆け抜けようとしています。

雨降りでも萎える気持ちに叱咤して果敢に積んできた糸島峠と日向峠上り下りのトレーニングの日々。何百リットルもの流した汗。悔しい思いをした数々のレース経験の代償として得たこのゴールインとその後の余韻は、例えようのない甘美な時空を醸し出します。
今、その瞬間を迎えようとしています。夢心地の時空に身を浸せる喜びを、今、この掌の中に握り込めます。長らく会えなかった恋人にやっとの思いで会えた時のように、阿蘇五岳が祝福してくれます。
梅雨空を突き抜けて、私を満天から祝福してくれます。


【開催日】2009年6月6日(土)
【記 録】9:38’56”(自己ベストを8’51”更新)
[目 標]9:59’59”
[参 考]昨年10:18’01”(39’05”更新)
【順 位】男子総合 44位/504名(完走者)
     50歳代 9位


<マラソン俳句>
  梅雨空の 100km走破 夢叶う

<マラソン川柳>
  自己ベスト 写真とグラスが 功労者

2009年5月4日第21回山口100萩往還マラニック70kmのクラスに出走してきました。

山口市の瑠璃光寺から萩城址公園を折り返す70.8kmの長丁場、高低差は約500mのコースです。
朝6:30からWave Start。天候は曇りで気温は13~4度でしょうか。
第三集団の私は、集団の中でトップに位置取り、4kmまでの勾配2-3度を先行した第一、第二集団と35kmの部のランナーも含めて129名を抜きます。その後、萩往還道に入ります。

この往還道は、江戸時代、萩に転封された毛利侯が藩の郵便制度の一環として、瀬戸内側の三田尻港から最短コースで萩城下まで飛脚を走らせるために整備した道です。従って、現在の国道とは異なり、なるべく短いコースを辿るため山中であっても急勾配を直線的に進むようになっています。今では、歴史街道としてハイキングや歴史愛好家などに親しまれている道となっています。

勾配10-25度くらいの石畳、階段上に手を入れた山道、枯葉に埋もれた下り、砂利とゴロタ石の混じったつづら折、田んぼの畦道のような草の生えた緩やかなアップダウンをいくつも、いくつも越えて行きます。
10度以上の勾配の上りは、僅かにしか走れません。登山と言った方が合っています。

スタート後、6.7kmで最高地点の545m、板堂峠を31分台で通過。
走れる箇所は僅かです。集団で山登りをしているという表現が近いかもしれません。
同じ70kmのコースに挑むランナーは山中で数名に抜かれましたが、その後、国道に出た下りで5名を抜き、250kmにクラス参加の知合いの女性ランナーに偶然会い、お互い激励のハイタッチ。それにしても速い。
女性の部で一昨年トップだった方です。
14.3km地点にある最初の佐々並市エイドに着きました。まだ、前に何人の同じ70kmクラスのランナーがいるかは分りません。

途中、国道に出たり、往還道へ入ったりの繰り返し。競争ではなく、あくまでもマラニックで非競争を謳っていることから、進行先が分りづらい微妙なところにだけ、白線で矢印が引かれています。
次のエイドまでに、また200m程の高さを上り、釿ノ切峠405mを目指します。天候は幸いなことに曇天で、多少風が感じれるので、体力を思い切り消耗することはありません。

24.1km地点にある明木市のエイドは、季節柄、市が立っていて、その準備もされているようでした。アミノバイタルProは3包ほど持って走っていましたので、ペットボトルのスポーツ飲料と飲んだりしました。
ほかに250kmを48時間かけてボロボロになってゴールを目指すランナーとすれ違います。40時間近く走り続けている彼らは、ちょっと臭います。
自分の背丈よりも高い木の枝を支えに、上り下りをそろりそろりと進んでいます。それは、見るからに痛々しい限りです。下りでは、その方が理に
かなって楽なのか、後ろ向きになって下山!している姿も何人も見ました。
事前の説明会では、昨年、3名が骨折したと話しが出ていました。

また、140kmのクラスは前夜18時から24時間をかけて走りますが、このクラスとは、後半のコースが重なるため、萩が近づくにつれ、追い抜いたり、すれ違ったりします。更に、次のエイドである道の駅までは3.5km、150m位を上り、石段を下ると到着です。
折返しまでは、「休まずひとっ走りする」、と決めて、遠望できる萩の指月山麓の指月城址までの下りと平坦なコースを国道、県道に沿って進みます。
ところが、降水確率3-40%の予報と違い、萩市内は、好天。青空が広がり、山中と異なり遮るものがなく、直接日光がカラダに降り注ぎます。
午前10時だというのに、暑くなってきました。

33km付近、橋本川沿いを通過中に、緊張の瞬間がありました。70kmクラス、トップランナーと思しき人とすれ違います。直感的に、「速い!」と思ったのは、背筋の伸びたその走行姿勢と麦わら帽子という余裕のいでたちからでした。「頑張れ」、とか「お疲れ」とかなんとか声を掛けられたのですが、特段、返事もせず、軽く肯くのが精一杯だったように思います。
そこから、折返しまでは、Cクラス(70km)とは、見落としが無い限り、すれ違った記憶はありませんでした。

萩城址脇の石彫公園の折返しでゼッケンに赤マジックでチェックを受け、とにかく、水分をカラダ中のセルに分け与えたいとの一心です。
計画では、前半は、3:15’で行くつもりでした。Wave Start7分後の第三集団だった私は、6時37分にスタート。従って、9時52分に折返し地点に辿り着けばよいのですが、9時50分に着いたので、計画通りでした。
萩往還マラニックは、エコランでもあり、エイドに紙コップは最小限しか用意せず、事前に配給されるコッヘルを腰にぶら下げて走るよう推奨されています。私は煩わしいので、持って走っていませんでしたから、コップを借りて冷たいお茶、水を3,4杯飲みました。
その後、先回りして運んでもらっていた荷物の中からドリンク剤を飲み、梅干を食べ、アミノバイタルProとハチミツを補充して、復路に向かいます。
この間、予定よりも時間をロスしました。10数分も滞在してしまったのです。
また、脚の休息をさせたことで動きが鈍くなり、覿面、スピードが落ちています。
程なく、Cクラスのランナーたちと続々すれ違います。せいぜい、10分ー15分の差でしかありません。

明らかに遅い足取りにイライラが募ります。また、好天のために暑くて、歩きたい気分ですが、すれ違う後続のランナーの多くが走っているのに、先行している私が歩いているとなると、「単なる前半飛ばし過ぎ、後半失速」のパターンになりかねません。
ここは、ゆっくりでもガマン。さっき、飲んだドリンク剤2本が効きだすには、もう少し時間が必要と、自分に言い聞かせます。とにかく、道の駅エイドまでは、休まないと固く誓ったのです。それでも、体温上昇への抵抗は難しく、山中に入る前に自動販売機で水を買い、頭と背中にかけてやりました。顔にもたっぷりと水遣りをし、これでかなり生き返りました。
折返しでの休憩10数分を加え、エイドまでは、たった7.6kmを57分も要したのです。往路は38分で走った区間だったのに・・・

駅の道エイドでは、萩名産の夏みかんをつかったフレッシュジュースを100円で飲みました。ビタミンCが胃袋に染み込みます。すぐに上りを楽々と進む同じクラスのランナーが抜いていき、どんどん差が広がります。程なく、ハイキングと同じ感覚になるコースになりますが、走れそうなところだけは走るといった状態です。その後、例年、70kmで上位に食い込んでいる一人に抜かれました。
やはり、持っているチカラが違うのか。

140kmや250kmのランナーは痛んで、ゆっくりか、もしくは、歩いているかしています。どうにか明木のエイド、46.7kmまで進みました。ここからは、一升谷と呼ばれる上り口に差し掛かります。太ももはけっこう痛みが出始めていますが、走れないことはありません。幸いにして、足首から下は、マメもできず、また、足の爪も圧迫を受けているようではありません。
途中、35kmウォーキングの方がトイプードルも連れて萩を目指していました。
すでに犬の方は歩けずに、だっこをしてもらっていました。話掛けると、犬の名は「ハル」とのこと。ひと撫でして別れ、先を急ぎます。

なんとか、釿ノ切峠405mを越えます。この頃になると雲が出てきました。
ペットボトルは腰に1本差し、手にもう1本持ち、なるべく腰のペットボトルを軽くするように水を飲んだり、頭や背中に掛けたりしました。折返しやエイドでも食物は喉を通らなかったのですが、持参して背中のポケットに入れておいたドラ焼き半分は背中に掛けた水を吸ってべとついていたのですが、それを4口で水と一緒に流し込みました。「食べチカラ」とは言ったもので、後でこれが効いてきます。畦道のような萩往還道もあり、そこだけぽっかりと空き地のように広がっていたり、国道を横目に見ながら、脚を先に進めるには、随分、柔らかく踏み心地のよい感触だった思いです。今までにマラニックに参加したことがなかったので、初めて脚裏が味わう何とも得がたい感触です。
上りは、勾配を見て走れるところは走る。きつい部分は腕振りで進みます。
これを繰り返していきます。山中は、日が差し込まない分、体力温存には幸いでした。

下りが続いても跳ねるようには進めません。脚や膝に来る着地の衝撃を少しでも緩和させるためにゆっくりと下りていくと、不意に56.5kmの佐々並に入って来ました。通りには観光客がいて、出店や店頭での焼き物や工芸品を見ては散策している様子です。どうにかエイド、5時間44分を要していました。
エイドでは、レモン漬けを口にし、冷えたお茶も飲みましたが頭からかぶれません。

仕方なく、商店街の自販機で水を買い、頭にも掛けます。ここから、最後の板堂峠までは、8kmで250m位の上りがひたすら続きます。国道へ出たのですが朝は下りの高速で分らなかった分、復路の上りはそのしっぺ返しみたいなものです。ずっと先まで上っているコースと250km、140kmの後ろ姿が三々五々歩いているのが伺えます。
私は70kmのクラス。歩くわけにはいきません。兎に角、走ります。2km近く進むと、先ほど、私をかわしていった同じ70kmのクラスの男性ランナーが歩いています。今度は、その横を私が走って抜いていきます。その先、300歩走って100歩あるき、600歩走って100歩あるき。水を飲んだり、額に掛けたりして、疲労を和らげるように進んでゴールを目指します。

途中、前日に購入してウェストポーチに突っ込んでおいた外郎(ういろう)があることを思い出し、2つ共、飲み込んでしまいました。外郎はしっとりとして喉を通りやすく、糖分もあるし腹持ちもすることもわかり、今後も旅の友にはうってつけという気がしました。
どうにか、長い国道を走り終えて、再び萩往還道へ入ります。首切れ地蔵前のトイレで用を足すと共に、水をペットボトル2本分補給。ほぼ、尽きかけていた水を得ることができました。

板堂峠には、更に国道を1回横断し、階段を上って数百m進んで通過できました。その辺りでも、何人か抜いて、残りは下りです。
「よく、こんな山道を上ったものだ」と思えるような急坂をゆっくり走ったり、脚を乗せる石畳を目で追いながら、あるいは、バンクをうまく利用して体重の何倍もかかると言われるカラダへの負担を少しでも減らしながら、リズムを取って下ります。下手をして、石ころに乗ろうものなら、足首をひねる危険があります。
足のコントロールも効かなくなっているのです。
次の萩往還道の塚まで1600mと立て看板を横目で見ました。たぶん、そこが萩往還道の往路での入り口です。急斜面を蛇行しながら下り、天花畑に到着。
67.0km地点です。すでに7時間3分が経過しています。

水が無くなっていたので、山からの湧き水を溝からペットボトルに入れて、更に頭からかぶります。冷えていて、すっごく気持ちがいいです。口に含んでは吐き出します。兎に角、そこからは、一気に舗装路をゴールまで勾配2-3度の下り、わずか4km程度です。ラストスパート開始。錦鶏湖の脇を下り、一の坂ダムを過ぎ、遂に見覚えのある天花橋。矢印は無くても、橋を渡ってT字路を左折すれば、残り700m、はるか前方に違うクラスのランナーの後ろ姿が見えます。
スピードは落としません。むしろ加速したいと思ったほどチカラが残っています。
その影が右折して消えた地点から300mでゴールです。大腿二頭筋とふくらはぎはそれなりに消耗していますが、足首から下の障害は起きていないことは幸いでした。
木町橋北詰を右折、最後の上り直線です。沿道には、ゴールするランナーを待ち構えて、すでに走り終えたランナーや応援者がたくさん待ち構えています。
その拍手や声援の中を、瑠璃光寺の五重塔を目指して進みます。自然に笑みがこぼれ、チカラが沸いてきます。息は大きく、それでも苦しくはありません。
一層の高まる拍手の中、境内に入ります。そして左方向へ、ゴールのテープが見えます。巨大なカメラのレンズが見えます。
両手を高々と上げて、ゴールテープを切ります。ゴールタイムは7:21’28”
順位は、Wave Startですので、後日、判明するとのことでした。
このタイムだと過去5年どの年でも2位から8位に該当します。

これが、噂に聞きし、『萩往還マラニック』。目標に掲げていた6:45’台には届きませんでしたが、今の実力からして、頑張れても、あと5分といったところでしょうか。充実した気持ちで一杯になりました。
十分にタフなコースです。250kmや140kmに挑む人達は、「速さを求めるのではなく、人はどれだけ、絶望や苦痛に耐え、乗り越える気力と体力、精神力を持ち得るのか」、それを確かめるために、トレーニングを重ね、この『萩往還マラニック』に毎年挑むのだ、ということが分った気がします。ゴールテープを切ることを、『萩往還マラニック』では『完踏』と呼び、讃えるだけの裏付けがここにあります。記録は『完踏証』となっています。

連休前に、萩往還マラニック、250kmに毎年のように参加している方が書いた書籍があることを知りました。

『走ることへのこだわり -萩往還マラニック(250キロ)-』
今村 高夫著文芸社刊 1260円


アマゾンで古本を注文、山口から帰ってきたら、届いていました。
著書を通して知り得る今村氏と私では考え方が、幾分違うところも共鳴する部分もあります。私は、彼ほど絶対的なものを信じていないし、また、ゴールタイムへのこだわりも持っています。それでいて、長い距離を走り切ることが私が求めるMental Toughness(精神的な強さ)を培うことに、役立っていることには納得できます。

走り終えて2日経ち、腰、大腿二頭筋、ふくらはぎの痛みはピークです。
今朝は、いつものジョギングコースの愛宕神社や、愛宕浜の海岸を約2時間かけてウォーキングしました。
『萩往還マラニック』を走る前と今では、”見えるもの”が少し違ったような気がします。今までのウルトラマラソンの激しさ、厳しさとも、また一味違う新鮮味のあるマラニック初体験でした。
それは、新しい挑戦を予感させるものでもあり、「正しい努力の継続は、成果に結びつけられる」という実感も持ちました。

次は、6月6日の阿蘇カルデラスーパーマラソンです。萩往還マラニックを駆けたことが、何らかの良い効果をもたらしてくれることを信じて、駆けてきたいと思っています。
第22回海の中道はるかぜマラソン大会のハーフに、安田さん、ガヤンさんと出場して来ました。
当日の天候は晴れで気温25.5℃、湿度45%と高い気温の中でのレースとなりました。

私は始めてのハーフだったので、目標タイムを1K5分ペースの1時間45分と設定していました。
結果はハーフ高校~20代男子部門36位/286人中総合順位213位/1934人中で、タイムは1時間37分45秒と目標タイムを上回ることができました。

前回出場した鹿島祐徳ロードレース大会では、スタートで飛ばしすぎて、苦しい思いをしましたが、今回は終始一定したペースで気持ちよく走ることができました。
気温の高さも、スタート前は不安でしたが、コースには給水箇所が4箇所設けてあり、海から涼しい潮風が吹く箇所や、木陰の箇所なども数箇所あり、想像していたよりは、苦にならず走りきることができました。

今回の大会で、目標タイムを上回れたこともうれしかったのですが、ハーフをペースを落とさず走りきることができとこともうれしかったです。良い経験になりました。

最後に、応援に来て頂いた阪元さん。応援ありがとうございました。双子のお子さんとてもかわいかったです。