第20回阿蘇カルデラスーパーマラソン100kmに出走してきました。
4回目の挑戦ですが、今年の阿蘇は、壮絶でした。
スタートから降り出した雨はものの15分で本降りから豪雨へ。一度あがって、また本降り。ウエアは当然ですが、ランパンもシューズも中までドップリと水が染み込み、いきなり重~い足かせとなりました。
最初のうち、エイドはパスして、必要以上には立ち寄らないようにしました。とにかく、今年の目標は昨年、目標達成できなかったサブ10。
10時間を切れれば、”御の字”。欲張らないように謙虚に行けば、道は開けるとの思いでスタートしたのです。途中、駆ける私を被写体にと、わざわざ熊本市内から雨の中、バイクで応援しにきてくれたK.I.さん。彼はグッドロケーションに先回りしてくれては、シャッターチャンスを待っていました。思わず、笑顔がこぼれます。何度も その姿に頑張らねばという思いになりました。
白川水源の辺りから継続した上り。いつものことながら、高森の21km過ぎて外輪山の下まではハーフマラソンのつもりで進みます。そして、歩きと走りを交互に400mの高さをわずか3kmも行かないうちに外輪山の上へ。上り下りの連続の阿蘇のコースは、足裏が勾配を感じ取ります。波野へ入ってからは曇っていたのですが、30kmを過ぎるとさすがに雨に濡れたシューズの中で5本指ソックスもずれてきて、マメができていることが分かります。我慢できるくらいでしたから、とりあえず、放っておきます。
どうにか、50km、4:24’01” これは出来すぎ。目標は、4:30’台でよいと計画していました。
昨年は、スタートから21kmの高森までと40Kmから50kmまでを飛ばし過ぎたツケが後半やってきて、60kmから先はジリ貧状態。
貯金を使い果たし、ゴールには10:18’台。せっかく、阿蘇を目指してトレーニングをしてきたのに、 冷静さを欠いた「レースマネジメント」をしたために、失敗した経験がありました。
一昨年、50kmの折り返しを4:20’~29’台で通過したランナーは、80%以上がサブ10でゴールできています。レースの女神はスルっと指の隙間から零れ落ちていったレースでした。
だから、今回は、そのモッタイナイ・レースをしてしまった経験を活かさないわけには いきませんでした。
50.8kmのレストステーションでは、那珂川RCのY.O.さんとほぼ同着。リポD2本を一気飲みして、汗拭き代わりのリストバンドを替え、ブドウ糖も後半用のものと交換。K.I.さんが構えるカメラの前では、つい笑顔になります。いつも10分近く居座るレストステーションも今回は3、4分程度で、すぐに出発。長居は無用です。
ウルトラは長い休憩の後が、だいたいしんどい状態になります。
カラダが休むことを覚えてしまい、なかなか前に脚が出てくれません。
50kmの部スタートを1時間半後に控えた松本さんと遭遇。お互い激励の握手。
ここからが勝負どころです。昨年と同じ過ちは繰り返せません。
何とか、歩きを最小限にして歩幅は小さくてもペースを変えないように、目線は長いこと下向きなのですが、それもほぼ習慣化。意外にもこの走法は、精神的にはラクなのです。
頭が前にでることから、 自然と脚も繰り出しやすい効果があると思います。また、上り坂を見なくていい、直線の長さにうんざりしなくていい、前のランナーを意識しなくていいなど、単調な路面を見続ける時間が多く、リズムは取りやすく、気持ちもまた、安定するので、走りには都合が良い状態です。
それでも、上りで脚が上がらなくなった60km付近、不安が頭をよぎります。そんな時、私の横をピッチでヒョイヒョイと上っていくランナーが声を掛けてきました。 前泊した九電の保養所で相部屋だったT.T.さんです。
「あれ」っと、思いましたが、「これは、ラッキー!渡りに船だ!」と心の中でかっさいを叫んだのです。T.T.さんについて行こう。
引っ張っていってもらい、また、調子がでてくれば自力走行可能だと思ったのです。実にタイミング良く抜いてもらいました。
前日 、「上りが得意だ」と話されていたので、坂道で歩かないだろうと、想像がつきました。こちらもそれに倣って上っていきます。
肉体的に一番つらくなるところを 引っ張りあげてもらったも同然です。
いくつかのアップダウンを繰り返し後、下りになって、脚もなんとか持ち直し、スピードアップもできてきました。
コースの中では、精神的にもレストステーションから85kmまでがきつい道程ですが、 特に60kmから80kmはLAPも落ち、前半の貯金を吐き出すところです。
まさに胸突き三丁ならぬ、胸突き30km。
不死鳥のように(おおげさの上にカッコ良すぎか!)甦ったのは、まさにT.T.のお蔭様。感謝しても、し足りない位です。
70km過ぎのエイド。K.I.さんと話しに気をとられ、水かぶりの際、エイドにサングラスを忘れた私を追いかけて、今度はN.O.さんが現れます。
「今、持って行きますよ」と、戻りかける私を制止して、彼が駆け寄ります。聞けば、昨年、10:10’台でゴール、今年はやはりサブ10狙いとのこと。
「一緒にサブ10行きましょう」と声を掛けると、「いやいや9:30’切れるでしょう」との返事。「すごい」と思いながらも、またまた握手。
その後、若さにまさる彼は、徐々に 前へ出て行ったのです。
N.O.さんがサブ10は楽勝だ、と言ってくれたことも大いに救われた思いでした。
80kmは合戦群へ上る坂の途中です。バテ始めていたのですが、山頂の方へ目を遣るとK.I.さんがカメラを構えています。もう、上り坂は、歩いて走っての状態です。
そして、カメラがあると分かっていても、笑顔も出ません。K.I.さんへの愛想もできません。苦しい表情をした正直な自分がカメラには収まったはずです。アミノバイタルProを飲もうとすると、胃の中のものが逆流してきます。すでに胃の中には水分しかないのかもしれません。
途中で梅干やわずかにバナナの切れ端を飲み下し、名物スイカのエイドでむしゃぶりついたくらい。合戦群から先はだらだらとした細い道、左手には阿蘇五岳が聳え、駆けてきた距離の長さが身に染みて実感できる時です。
今年は、目標のサブ10に向け何とか順調。その中で前にも後ろにも(後ろは見なかったが)ポツンポツンとランナーがいる程度。
それだけ、早く駆けれるようになったんだな、とも思える時です。
エイドでも、水も食糧もたくさんあるということは、自分が前の方にいることがわかります。それでも、全身に疲労が広がります。頭から水をかぶり続けるので、蒸発の際、気化熱が体温も奪っていきます。
それはそれで、体温上昇を抑えるのでよいのですが、癖のようになってくると、無駄に水をかぶり、時間を使い、挙句には、 ゴール後に体温調整不良に なる副作用があります。
いよいよ、象ヶ鼻からの下りに差し掛かります。下りでも歩く始末。
遠くにK.I.さんの影があります。それだけ分かっていても、何の反応もできなくなり、自分でも「走らなきゃ」とか 「ポーズをとらないと」・・・なんて、意識は消えてしまっています。持参した外郎(ういろう)(前回の萩往還で重宝したので、マラソン携行品に加わった 代物)を歩きながら食べます。
ありのままの自分でいい、という思い。無様な姿でもなんでも、撮られるならなんでも勝手に撮ってくれ、という感じになります。
素の自分・・・多分、80kmから先に、先にもうひとつ別の境地があること、何となくですが、 分かってきます。脚裏はすでに、最低でも3ヶ所マメができ、一部は破れているのがソックス越しにも分かります。ツメも左の人差し指がめくれて死んでいるのが脳には、はっきり伝わっています。
自分のカラダの状態は駆けていても、わかるようになります。
脚がゴールへ向かおうとする遺伝子の塊りと化しています。
究極のほしいものだけ、それもひとつだけを全てを賭して渇望する姿は、単細胞生物を 地で行くようなもの。滑稽でもあり、それがまた、新たな発見でもあり。
ここの下り始めの下界の景色は、いつもながら絶景です。水を張った幾百枚もの田んぼがパッチワークのようで、晴れた空をも照らします。
87km駆けた後、一気に 400m以上を下る時は後半一番のスピードです。脚への負担もピークになります。
駆け下りながら、サブ10は確信。だけど、9:47’台の自己ベスト更新はできるかどうか・・・昨年の悔しさを思います。四万十川での初サブ10の最後を思い出します。そのタイムを超えることができるか、微妙なところです。
なんとか、90kmの標識を下り、一般道へ出て、小川に沿って、田んぼの中へ。水路に沿って直線的に進むとT字路を左折、400mで95kmのエイドです。サロンパスの臭いが鼻をつくエイドの休憩も最小限、あとはたったの5kmです。苦しかろうが、痛かろうが、座りたがろうが、あと5km、たった5kmです。遠くに内牧の温泉病院の建物が見えました。どうにかあと2.5km。エイドまで待てずに歩きます。最後の水かぶり。
どうにか残り1.5km。「ここからは、歩かない。」そう決めて、前のランナーに付いていきます。20m前に一人。同じペースで走っているランナー。残り1kmの標識。あと5分。見慣れたゴール近くの風景。
ラーメン屋を過ぎ、前方の先に、スーパーマーケットの看板がわずかに見えます。ペースが上がります。前のランナーも同様。
パチンコ屋を過ぎ、残り500mの標識。ここを右折、直進。沿道には応援の人がいます。すでにゴールしたランナーも後続のランナーのゴール前のスパートを見にきています。
緑のウィンドブレーカを着た大会関係者が笑顔で、「おかえりなさい」と声を掛けてきます。分かるか分からないか程度でも、自分でははっきり意識して声援に応えている心地でいます。私の名前がスピーカーから聞こえてきます。
「554番、やすだ じゅんさん。福岡からの参加です。最後です、がんばってください」
その前からラストスパートのつもりですが、一層跳躍した走りです。
K.I.さんのバイク姿が見えて、手を上げます。笑顔に映ったかは、わかりません。右折して、40m。100kmゴールの掲示が見えます。
前のランナーを追って、今までで最も短い時間で100kmのゴールゲートを駆け抜けようとしています。
雨降りでも萎える気持ちに叱咤して果敢に積んできた糸島峠と日向峠上り下りのトレーニングの日々。何百リットルもの流した汗。悔しい思いをした数々のレース経験の代償として得たこのゴールインとその後の余韻は、例えようのない甘美な時空を醸し出します。
今、その瞬間を迎えようとしています。夢心地の時空に身を浸せる喜びを、今、この掌の中に握り込めます。長らく会えなかった恋人にやっとの思いで会えた時のように、阿蘇五岳が祝福してくれます。
梅雨空を突き抜けて、私を満天から祝福してくれます。
【開催日】2009年6月6日(土)
【記 録】9:38’56”(自己ベストを8’51”更新)
[目 標]9:59’59”
[参 考]昨年10:18’01”(39’05”更新)
【順 位】男子総合 44位/504名(完走者)
50歳代 9位
<マラソン俳句>
梅雨空の 100km走破 夢叶う
<マラソン川柳>
自己ベスト 写真とグラスが 功労者
4回目の挑戦ですが、今年の阿蘇は、壮絶でした。
スタートから降り出した雨はものの15分で本降りから豪雨へ。一度あがって、また本降り。ウエアは当然ですが、ランパンもシューズも中までドップリと水が染み込み、いきなり重~い足かせとなりました。
最初のうち、エイドはパスして、必要以上には立ち寄らないようにしました。とにかく、今年の目標は昨年、目標達成できなかったサブ10。
10時間を切れれば、”御の字”。欲張らないように謙虚に行けば、道は開けるとの思いでスタートしたのです。途中、駆ける私を被写体にと、わざわざ熊本市内から雨の中、バイクで応援しにきてくれたK.I.さん。彼はグッドロケーションに先回りしてくれては、シャッターチャンスを待っていました。思わず、笑顔がこぼれます。何度も その姿に頑張らねばという思いになりました。
白川水源の辺りから継続した上り。いつものことながら、高森の21km過ぎて外輪山の下まではハーフマラソンのつもりで進みます。そして、歩きと走りを交互に400mの高さをわずか3kmも行かないうちに外輪山の上へ。上り下りの連続の阿蘇のコースは、足裏が勾配を感じ取ります。波野へ入ってからは曇っていたのですが、30kmを過ぎるとさすがに雨に濡れたシューズの中で5本指ソックスもずれてきて、マメができていることが分かります。我慢できるくらいでしたから、とりあえず、放っておきます。
どうにか、50km、4:24’01” これは出来すぎ。目標は、4:30’台でよいと計画していました。
昨年は、スタートから21kmの高森までと40Kmから50kmまでを飛ばし過ぎたツケが後半やってきて、60kmから先はジリ貧状態。
貯金を使い果たし、ゴールには10:18’台。せっかく、阿蘇を目指してトレーニングをしてきたのに、 冷静さを欠いた「レースマネジメント」をしたために、失敗した経験がありました。
一昨年、50kmの折り返しを4:20’~29’台で通過したランナーは、80%以上がサブ10でゴールできています。レースの女神はスルっと指の隙間から零れ落ちていったレースでした。
だから、今回は、そのモッタイナイ・レースをしてしまった経験を活かさないわけには いきませんでした。
50.8kmのレストステーションでは、那珂川RCのY.O.さんとほぼ同着。リポD2本を一気飲みして、汗拭き代わりのリストバンドを替え、ブドウ糖も後半用のものと交換。K.I.さんが構えるカメラの前では、つい笑顔になります。いつも10分近く居座るレストステーションも今回は3、4分程度で、すぐに出発。長居は無用です。
ウルトラは長い休憩の後が、だいたいしんどい状態になります。
カラダが休むことを覚えてしまい、なかなか前に脚が出てくれません。
50kmの部スタートを1時間半後に控えた松本さんと遭遇。お互い激励の握手。
ここからが勝負どころです。昨年と同じ過ちは繰り返せません。
何とか、歩きを最小限にして歩幅は小さくてもペースを変えないように、目線は長いこと下向きなのですが、それもほぼ習慣化。意外にもこの走法は、精神的にはラクなのです。
頭が前にでることから、 自然と脚も繰り出しやすい効果があると思います。また、上り坂を見なくていい、直線の長さにうんざりしなくていい、前のランナーを意識しなくていいなど、単調な路面を見続ける時間が多く、リズムは取りやすく、気持ちもまた、安定するので、走りには都合が良い状態です。
それでも、上りで脚が上がらなくなった60km付近、不安が頭をよぎります。そんな時、私の横をピッチでヒョイヒョイと上っていくランナーが声を掛けてきました。 前泊した九電の保養所で相部屋だったT.T.さんです。
「あれ」っと、思いましたが、「これは、ラッキー!渡りに船だ!」と心の中でかっさいを叫んだのです。T.T.さんについて行こう。
引っ張っていってもらい、また、調子がでてくれば自力走行可能だと思ったのです。実にタイミング良く抜いてもらいました。
前日 、「上りが得意だ」と話されていたので、坂道で歩かないだろうと、想像がつきました。こちらもそれに倣って上っていきます。
肉体的に一番つらくなるところを 引っ張りあげてもらったも同然です。
いくつかのアップダウンを繰り返し後、下りになって、脚もなんとか持ち直し、スピードアップもできてきました。
コースの中では、精神的にもレストステーションから85kmまでがきつい道程ですが、 特に60kmから80kmはLAPも落ち、前半の貯金を吐き出すところです。
まさに胸突き三丁ならぬ、胸突き30km。
不死鳥のように(おおげさの上にカッコ良すぎか!)甦ったのは、まさにT.T.のお蔭様。感謝しても、し足りない位です。
70km過ぎのエイド。K.I.さんと話しに気をとられ、水かぶりの際、エイドにサングラスを忘れた私を追いかけて、今度はN.O.さんが現れます。
「今、持って行きますよ」と、戻りかける私を制止して、彼が駆け寄ります。聞けば、昨年、10:10’台でゴール、今年はやはりサブ10狙いとのこと。
「一緒にサブ10行きましょう」と声を掛けると、「いやいや9:30’切れるでしょう」との返事。「すごい」と思いながらも、またまた握手。
その後、若さにまさる彼は、徐々に 前へ出て行ったのです。
N.O.さんがサブ10は楽勝だ、と言ってくれたことも大いに救われた思いでした。
80kmは合戦群へ上る坂の途中です。バテ始めていたのですが、山頂の方へ目を遣るとK.I.さんがカメラを構えています。もう、上り坂は、歩いて走っての状態です。
そして、カメラがあると分かっていても、笑顔も出ません。K.I.さんへの愛想もできません。苦しい表情をした正直な自分がカメラには収まったはずです。アミノバイタルProを飲もうとすると、胃の中のものが逆流してきます。すでに胃の中には水分しかないのかもしれません。
途中で梅干やわずかにバナナの切れ端を飲み下し、名物スイカのエイドでむしゃぶりついたくらい。合戦群から先はだらだらとした細い道、左手には阿蘇五岳が聳え、駆けてきた距離の長さが身に染みて実感できる時です。
今年は、目標のサブ10に向け何とか順調。その中で前にも後ろにも(後ろは見なかったが)ポツンポツンとランナーがいる程度。
それだけ、早く駆けれるようになったんだな、とも思える時です。
エイドでも、水も食糧もたくさんあるということは、自分が前の方にいることがわかります。それでも、全身に疲労が広がります。頭から水をかぶり続けるので、蒸発の際、気化熱が体温も奪っていきます。
それはそれで、体温上昇を抑えるのでよいのですが、癖のようになってくると、無駄に水をかぶり、時間を使い、挙句には、 ゴール後に体温調整不良に なる副作用があります。
いよいよ、象ヶ鼻からの下りに差し掛かります。下りでも歩く始末。
遠くにK.I.さんの影があります。それだけ分かっていても、何の反応もできなくなり、自分でも「走らなきゃ」とか 「ポーズをとらないと」・・・なんて、意識は消えてしまっています。持参した外郎(ういろう)(前回の萩往還で重宝したので、マラソン携行品に加わった 代物)を歩きながら食べます。
ありのままの自分でいい、という思い。無様な姿でもなんでも、撮られるならなんでも勝手に撮ってくれ、という感じになります。
素の自分・・・多分、80kmから先に、先にもうひとつ別の境地があること、何となくですが、 分かってきます。脚裏はすでに、最低でも3ヶ所マメができ、一部は破れているのがソックス越しにも分かります。ツメも左の人差し指がめくれて死んでいるのが脳には、はっきり伝わっています。
自分のカラダの状態は駆けていても、わかるようになります。
脚がゴールへ向かおうとする遺伝子の塊りと化しています。
究極のほしいものだけ、それもひとつだけを全てを賭して渇望する姿は、単細胞生物を 地で行くようなもの。滑稽でもあり、それがまた、新たな発見でもあり。
ここの下り始めの下界の景色は、いつもながら絶景です。水を張った幾百枚もの田んぼがパッチワークのようで、晴れた空をも照らします。
87km駆けた後、一気に 400m以上を下る時は後半一番のスピードです。脚への負担もピークになります。
駆け下りながら、サブ10は確信。だけど、9:47’台の自己ベスト更新はできるかどうか・・・昨年の悔しさを思います。四万十川での初サブ10の最後を思い出します。そのタイムを超えることができるか、微妙なところです。
なんとか、90kmの標識を下り、一般道へ出て、小川に沿って、田んぼの中へ。水路に沿って直線的に進むとT字路を左折、400mで95kmのエイドです。サロンパスの臭いが鼻をつくエイドの休憩も最小限、あとはたったの5kmです。苦しかろうが、痛かろうが、座りたがろうが、あと5km、たった5kmです。遠くに内牧の温泉病院の建物が見えました。どうにかあと2.5km。エイドまで待てずに歩きます。最後の水かぶり。
どうにか残り1.5km。「ここからは、歩かない。」そう決めて、前のランナーに付いていきます。20m前に一人。同じペースで走っているランナー。残り1kmの標識。あと5分。見慣れたゴール近くの風景。
ラーメン屋を過ぎ、前方の先に、スーパーマーケットの看板がわずかに見えます。ペースが上がります。前のランナーも同様。
パチンコ屋を過ぎ、残り500mの標識。ここを右折、直進。沿道には応援の人がいます。すでにゴールしたランナーも後続のランナーのゴール前のスパートを見にきています。
緑のウィンドブレーカを着た大会関係者が笑顔で、「おかえりなさい」と声を掛けてきます。分かるか分からないか程度でも、自分でははっきり意識して声援に応えている心地でいます。私の名前がスピーカーから聞こえてきます。
「554番、やすだ じゅんさん。福岡からの参加です。最後です、がんばってください」
その前からラストスパートのつもりですが、一層跳躍した走りです。
K.I.さんのバイク姿が見えて、手を上げます。笑顔に映ったかは、わかりません。右折して、40m。100kmゴールの掲示が見えます。
前のランナーを追って、今までで最も短い時間で100kmのゴールゲートを駆け抜けようとしています。
雨降りでも萎える気持ちに叱咤して果敢に積んできた糸島峠と日向峠上り下りのトレーニングの日々。何百リットルもの流した汗。悔しい思いをした数々のレース経験の代償として得たこのゴールインとその後の余韻は、例えようのない甘美な時空を醸し出します。
今、その瞬間を迎えようとしています。夢心地の時空に身を浸せる喜びを、今、この掌の中に握り込めます。長らく会えなかった恋人にやっとの思いで会えた時のように、阿蘇五岳が祝福してくれます。
梅雨空を突き抜けて、私を満天から祝福してくれます。
【開催日】2009年6月6日(土)
【記 録】9:38’56”(自己ベストを8’51”更新)
[目 標]9:59’59”
[参 考]昨年10:18’01”(39’05”更新)
【順 位】男子総合 44位/504名(完走者)
50歳代 9位
<マラソン俳句>
梅雨空の 100km走破 夢叶う
<マラソン川柳>
自己ベスト 写真とグラスが 功労者