5月3-4日に山口市。・瑠璃光寺をスタート・ゴールとした第22回萩往還マラニック140kmの部に出走してきました。
昨年までは、133kmで、今年から7km延ばして、きちんと140km。
昨年70kmに出走し、7:21’だったので、18時間でゴール、順位も1ケタを想定し、レースに臨みました。

3日18時スタート
最初こそ10kmまでは例によって、トップだったのですが、それでも、国道を走るので、足に負担があるわけではありません。
50km地点で、一度山口へ戻っているのですが、そこで23時を迎えます。10位に落ちています。
いよいよ、萩往還の山道です。
真っ暗闇をヘッドライトとハンドライト、ハイドロパック(背負う水タンク)とポール(ストック)とトレイル用シューズに替えて臨みます。
しかし、夜中ですので、暑いわけではなく、それほど水を必要とするわけではありません。また、ポールも一度も使うことなく、水1.5Lとポール2kgの3.5kgを余分に運び、無駄に体力を消耗することになりました。

夜中の山中は、傾斜もきつく、走れるところは、フラットか緩い下りだけです。20度以上の傾斜のある坂は石畳や、石がごろごろしていて、下手をするとすぐ転倒する可能性もあり、下りを走るのには相当勇気が要ります。
それでも、休憩を取るときは、漆黒の闇の中で自分の息遣いだけ・・・・と思っていたのですが、それこそ、ジャングルの夜に一人でいるのと同じ。
聞き慣れぬ動物の鳴き声や、けものが藪を徘徊する音、山の中を流れる川のせせらぎが聞こえてくるのです。
時折、前方から灯りが見えます。250kmの速いランナーのヘッドライトです。
すれ違い様に、「お帰りなさい」と声をかけていきます。
坂道は、上下動が激しく、胃がやられます。

明け方5時、萩城址着。この時点では、15,6位くらいでしょうか。
85km地点なのですが、戻すものもないので、胃液だけが上がってきます。
体力はすっかり消耗し、役に立たなかったポールを預けました。
その後は歩きが中心。それでも時々立ち止まっては次のチェックポイントを目指します。

胃に何も入っていないので、チカラがでません。かといって、スポーツドリンク系もまずく感じるようになり、水をふくんでは、はき捨てる、もしくは、ハイドロパックから水を吸ってはそれを顔や、頭、肩にかけます。

97km地点の虎ヶ崎で朝食、うどんをどうにかすすって、吉田松陰ゆかりの松陰神社近くにある東光寺を目指します。朝食時に、女性ランナーから朝9時に東光寺をスタートできれば、歩いてもタイムリミットの夕方6時にゴールできるという情報を手に入れて、策を講じます。
「今回は、完踏(かんとう)だ」(萩往還はマラニックのため、順位表彰はなく、完走したランナーは、完踏といいます)。100km以上が初めてだし、日中は28度近くまで気温があがるとの情報もあったので、熱中症対策(過去に5月に熱中症になって、病院送りになった経験あり)もあって、歩いてもゴールしようとの考えにいたったのです。

虎ヶ崎から東光寺には、結構がんばって、200歩走って、100歩歩きを繰り返しなんとか8時30分に到着。残り35kmです。
休憩後、萩市内をひたすら歩いて、山道へ向かいます。そこからも、歩きで山上りや国道もだらだらと長い3km以上も続く坂が3つ位あります。
まったく走れず。前後にいる250kmの部、140kmの部のランナーもやはり、歩き。時折、70kmの部のランナーが抜いていくだけです。
脚は、大腿四頭筋の前が痛く、これは、下りの影響です。ふくらはぎや足の裏、つま先等はほとんど影響がなかったといえます。

それでも、カラダに水をかけ続けていないと私の場合は、暑さを感じるので、気化熱で熱を奪われるようにしつつ、体温上昇を抑えるようにしました。
あとの峠越えの山中は実にしんどく、上りも下りもひたすら歩き。
もはや30位にいるのかどうかも怪しい具合です。
どうにか、最後の峠を越えたところから、下りも無理して走り出します。
最後4kmは下る一方なので大方走り、ゴール前の沿道には、多くの走り終わったランナーが声援と拍手で迎えてくれます。
ゴールタイム 20時間50分46秒順位は後日判明します。
私の初めての140kmウルトラ(トレイル!)マラニックは、こうして終わりました。

140kmは70kmの距離を2倍に延ばしたのですが、時間は3倍かかりました。
それでも、夜間山中走行、重装備のレースという経験はよかったと思います。
二夜明け、痛みは腰、でん部、肩、足全体に広がっています。手の指も攣ります。
立ち上がるのも、座るのも、チカラを要し、一苦労です。

次回は、6月5日の阿蘇カルデラ100kmです。
しばらく、休んで、阿蘇向けに準備に入りたいと思います。

お互い、走ることを楽しみましょう。
3/7(日)第23回岡の里名水マラソン大会に出走してきました。
当日の大分県竹田市は、気温9℃、小雨が降る中でのレースとなりました。
私にとっては、前回の天草マラソンに続く、2回目のフルマラソンとなります。

結果は、3:24:42秒で、目標としていた3:40分を大きく上回るタイムで、ゴールすることができました。
天草マラソンからは、約35分タイムを縮めることができました。

レース展開としては、ハーフ地点では、去年のはるかぜマラソンの時のタイムを1分上回る1:36分で折返すことができました。
後半からは、雨が降り出し、体が冷えましたが、あまり何も考えず、回りも見ず、前だけを見て黙々と走りました。

今回のコースは、標高差が約200Mあり、レース前は走り切れるか不安でしたが、実際に走ってみると、想像していたよりは楽に走ることができました。
(残り5Kからの上り坂では心が折れかけましたが・・・)
2月の初めに、西風RCで行った宝満山登山トレーニングの成果だと思います。

最後に、今大会では、自己ベストを大きく上回るタイムでゴールでき、とても満足いく結果となりました。
ただ、走ることに集中し、まわりの風景をあまり楽しむことはできませんでした。
竹田市は、名水や名湯・滝廉太郎の作曲した「荒城の月」のモデルとなった岡城で有名ですが、本当に良いところだと思います。
今度は観光でも訪れたいと思います。
11/22(日)天草マラソン大会(フルマラソン)に、安田さんと出走してきました。
天草マラソンは、平成の大合併により、旧本渡市、旧牛深市など、10の市町村が合併し、天草市が誕生してから、4回目の大会となります。

天草市は、私の地元で、初のフルマラソンを、地元で走ることができました。
当日の天草市は、気温9℃、曇り空の中でのレースとなりました。

結果は、順位387位/1142人中タイム3:59:32秒で、4時間は何とか切れたものの、目標としていた3:40分を達成することができませんでした。

レース前に立てていた展開としては、30K地点までは、1K5分ペースの、2時間30分、35k地点までは、少しペースが落ち、3時間、残りの約7Kを1K5~6分のペースで走り、3:40分としていました。

実際のレース展開では、20Kに差し掛かった頃に、雨が降出し、体が冷え、30K過ぎたころから、意識が朦朧としてきて、はっきりしたタイムは憶えていませんが、30K地点では、目標タイムの数十秒遅れ、35K地点では、数分遅れではありましたが、ほぼ目標どおりに走れていました。
問題は、残りの約7Kで、この距離に1時間近く掛かってしまいました。
ただ、飛びそうになる意識を、足腰の痛みで起し、何とか完走することはできました。

今大会では、フルマラソンの過酷さを肌身を通じ、感じました。
走り終えたあとは、足腰の痛みがひどく、高校の部活動以来、体がぼろぼろになりました。
しかし、地元でのレースということもあり、沿道では、父や、祖父母、親戚や友人、高校の後輩などが応援してくれ、また、慣れ親しんだ道を走れ、思い出に残る良い大会となりました。

一つ悔しかったのが、残りの1Kで、私の中学校時代の野球部の監督に抜かれたことです。
このことは、正月に、同級生とあったときの笑い話にはなりますが、来年の大会では、必ずリベンジしたいです。

最後に、毎回レース前に、応援のお電話を下さる阪元さん、今回もありがとうございます。
遠い天草まで、お越し下さった安田さん、ありがとうございます。
初のフルマラソンで、ご一緒に参加できて良かったです。
折り返し付近で、声をかけて頂いたときには、勇気付けられました。
何より、実際に自分でフルを走ってみて、安田さんのすごさを、今まで以上に感じました。

初のフルマラソンでしたが、ゴールしたあとの爽快感は格別なものでした。
また、挑戦したいです。