アメンバーを申請するのだけど
うまくできないという問い合わせが
多数ありました。
調べたところ、私の設定に誤りがありました。修正しましたので
これで申請がスムーズにできると思います。
お詫びするとともに
申請のほどよろしくお願いいたします。
北海道のジャーナリストとの縁で
山口県で竹炭を焼くN氏を紹介された。
彼は50代半ばにして勤めていた大手電力会社を
辞め
浄化作用の強い竹炭を作ることが
乱立する竹林の減少にも繋がると
以降の人生を竹炭を作ることにかけた男性だった。
また彼は、窯を設け自分で竹炭を作るだけでなく、窯の設置や炭づくりの方法を求められれば
進んで教え、東西奔放していた。

炭は、冷蔵庫の脱臭剤に利用されるように
浄化能力の高い物質だ。
とりわけ竹炭は木炭より浄化能力に優れており
竹炭を砕いて粉状にしたものや
竹炭から抽出した竹酢を飲用することで 
体内の不純物を除去できると言う。

体内にできた腫瘍も一種の不純物。
また抗がん剤の投与により
体内に残る有害物質を
粉末の竹炭や竹酢を飲むことによって
それらは除去され
強いては、ガンが消滅すると言うのだ。

と言うことで、
私に竹炭の粉末や竹酢を飲むことを
進めたのだ。

少々眉唾な感じがしたが
ジャーナリストの紹介もあり
何よりも炭は、病院でも医薬品として
取り扱われていた。

死線から甦った私は、
さらに強力な抗がん剤が投与された。
とにかく腫瘍を根こそぎ、取り除き
その骨髄を抽出、冷凍保存する。
この後、再発をした場合に
その冷凍保存した自分の骨髄を
再び、自分の体に戻し、
新たにできたガンを、元気な時の自分の力で
叩きののめし、元気にするという寸法なのだ。

強い抗がん剤を投与するので
体への負担はかなり大きい。
想像を絶する副作用も強いられるのだ。

私はN氏から送ってもらった
竹炭の粉末を、
口の中を真っ黒にしながら
毎食後摂った。

炭の購入など、
何かとN氏と電話で話す機会が多くなった。
N氏は、私の言葉の端々に
不安感を感じたらしく
それから私にさりげなく声を
かけてくれるようになった。
N氏の言葉は孤独で焦燥していた私に
栄養分を与えるように染み渡った。

連日の抗がん剤の投与にも関わらず
なぜか、ある時から
抗がん剤投与による副作用が
ほとんどなくなっていた。 

骨髄の抽出、冷凍に成功したものの
その後のCT検査で、
ガンの縮小は認められなかった。

しかし、私はそれほどショックではなかった。
体調がいいことが、
私の心を元気にしていたからだった。

私は、思い切って、退院することにした。

次回につづく。





気力のない私が、強い抗がん剤治療を行って
いい結果を得られずはずがない。
私は、日毎に痩せていった。
60kg以上あった体重が43kgまで激減していた。
食事は何も手につかなかった。
食欲がない。食べても吐いてしまう。
と言うことではない。
食事まで箸を進めるだけで、息切れし
食べ物を口に入れようとした時、
エネルギーが底を尽きているのだ。
これは決して大袈裟に表現しているのではない。実感だ。
その時初めて、食べるという行為そのものに
エネルギーが必要だと知った。

脱け殻のようになった私に
なぜか手を差し伸べる人が現れた。
自然食を提供しているキッチンのオーナーシェフだった。
どこで聞きつけたのか、私の現状を知り
なにか食べられるものはないかと、わざわざ
作り、病室まで運んでくれたのだ。
手作りのパンドール、空豆など有機無農薬の野菜を中心としたサラダなど、バスケットに入れて持ってくれた。
どうしたことか、あれほど手に付かなかった食べ物が、口に入っていった。
それから、時々彼女は店がオフの時に、来てくれるようになった。
食べられるようになって
私のことを気にかけている人がいる。
とにかく生きなくちゃいけない❗
と、思った。

しかしながら、私の容態はあまり芳しくなかった。
高熱が続き、白血球値が極限まで低下し
死線をさまようになっていた。

これは夢だったのか、いまでもよくわからない。
目の前に父母が現れた。
川の向こうでふたりはニコニコしながら手招きをしている。
二人の後ろには菜の花などの草花が咲き並んでいた。
あぁ、これが世に言う臨死体験なのかと思った。
しかし、父はすでに死んでいるものの
母は健在だ。
どうしたものだと思っていると
目が覚めた。
時は夕方だった。
窓をみると、空は夕焼けで真っ赤だった。
なぜか、それを見て私はさめざめと泣いた。

生きている❗❗

と言うことに、ほんとうに感動したのは、
この時が最初で最後だったような気がする。
後から聞いたのだか、やはりこの時私は
生きるか死ぬかの間際であったようで
夫が、どうにかして助けて欲しい❗と懇願していたと、後で看護師さんから聞かされた。

私は生かされたのだ。

私の命は、私のものではないと思った。

これからは、この与えられた命を大切に
精一杯生きなければと思った。

次回につづく。