昨夜から首にできた腫瘍が痛い。
痛くてたまらなく
鎮痛剤を飲んだ。
こんなことはいままでになかったことだ。

たぶん、だんだん腫瘍が大きくなっきて
疼くのだろう。
横6センチ縦5センチだったものが
いまでは13センチ、10センチと
大きく膨れ上がっている。
誰がみてもすぐその大きさが
目につく。

それでも今朝は
鎮痛剤をたくさん飲んでも
元気でいたかった。

なぜなら今日は主人が
届け物を持ってくるのだ。
いつもすぐそばに来ているのに
話すことも顔を見ることもできない。

私は今日はどうしても主人に会いたくて
看護師さんに

「どうしても会って
話さなくてはならないことがあるので
主人に会わせてください」
とお願いするつもりだった。

主人には、看護師さんに
頼んで頼のみ倒すから
しばらく、そこで待っていてと
昨日、メールで伝えたのだ。

さっそく、今日朝早くから
主人は届け物をもってきて
ナースステーションの前で待っていた。

私は看護師さんを説得にかかった。
「どうしても会って話さなくてはならないので、少しだけ、主人に会わせてください」
と懇願した。
「ちょっと待ってください」と
部屋に入ってきた看護師さんは
ナースステーションに戻った。

私はたまらなくなり
ドアを開け、遠目に主人の顔を見た。
主人は約10メトール離れた椅子に
ぽつんと座っていた。

部屋に来た看護師さんは
他の看護師さんとなんやら話をしている。
やがて副師師師長がやってきて

「どんな理由があっても、
直接会うことはできません。
規則ですから。
そんなことを許したら
歯止めがきかなくなります」と。
それは正論で最もなことだ。

「それではナースステーション前の椅子に
ソーシャルディスタンスを保って、
話をしてもダメですか」
と言うと
「う~ん。それならいまの状態で
話をしてください」と言うのだ。

主人と私の距離は10m離れているのだ。
そんな距離で話すことなんて
できない。

主人は、そんなやり取りを
10m先で、じっと見ていた。
「静ちゃん、いいよ、いいよ。
遠目からでも会えたんだから」と
叫んだ。

私は部屋に戻された。
部屋に戻って、私は声に出して
泣きじゃくった。
何も若い人のように
抱き合いたいわけではない。
ただ並んで、とりとめない話を
したいだけだ。

夫は
「コロナが終息したら会えるよ」と
後でメールに書いてくれた。
看護師さんは
「コロナが落ち着いたら会えますよ」
と慰めてくれるが
コロナはいったいいつ終息するのだ。
その間に末期ガンの私は
死んでしまっているかもしれない。

死んでも主人に会えないなんて
あまりにも残酷だ。

そう言うと、医師は
それでは症状が落ち着いたら
一旦、家に帰ったら?と
言うかもしれない。

それは絶対できない。
これまで何度も救急車に運ばれ
主人は透析を受けている途中にも関わらず
飛んできた。
彼にはもうそんな心配と面倒は
かけたくない。

主人が帰ってもう3時間が経つのに
まだ涙が止まらない。

その宇佐をこうして
ブログで吐き出している。

読んでくれているみなさん
ごめんなさい。

あぁ、夫に会いたい‼️




抗がん剤治療をやめてから
早3週間になります。
相変わらず頭痛が続くものの
他はいたって元気になりつつあります。

あんなに重かった左肩が
ある時、スーと消えていました。
倦怠感も少なくなりました。
たくさん食べられませんが
食欲も出てきました。
血球値もよくなってきています。

こうしてみると
抗がん剤の副作用がいかに大きく
体を痛め付けたかが、よくわかります。

もちろん、私の元気とともに
ガンも元気になっていきます。
いつの日にか猛威を奮い
体のあらゆるところを圧迫して
私がのたうち回るまで攻撃するでしょう。
その時、私は強い鎮痛剤を打たれ
意識が朦朧としてくるでしょう。

その時は夫に手を握りしめられて
スーと逝きたい❗️

こう言うと、きっとつだっちは
 まだまだ、と言うだろうな。
頭痛を緩和するために
対処治療法だが
放射線治療が始まった。

放射線照射は
生涯照射線量が決まっている。
私はこれまでも放射線治療を
行ってきた。

もうできないかと思われたが
かろうじて線量が残っていた。
これまで15グレイ✕15回を
2度行った。
今回は15グレイ✕15回が残っていて
最後になると言う。
つまり生涯照射量は15グレイ✕15✕3と
言うことになり
総量は675グレイになることになる。

とにかく今回で最後だ。

その後は体調が安定すれば
緩和病院に移ることになる。

T総合病院のホームページを開くと
緩和病棟は専門チームスタッフで構成され
手厚い看護が受けられるとあった。

どちらにしても
安らかに過ごして
静かに幕を閉じたいものです。