退院して、早1か月半が経ちました。
とりたてて忙しいわけではないのですが
なんとなく時間が過ぎ、バタバタしております。
そんな中、合間をみて
これまで録画した番組を片っ端から観ています。
とにかく録画だけはせっせと行い
観るのに一苦労するほど録った。
どうせ観ないなら、消せばいいんですけど
リストを見ると、観たいものばかりで
どうしても消せない。
で、ひとつひとつ観ていこうと。
まず再生したのは
NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」
自分自身がガンであることもあって
どうしてもこういった重く暗いテーマに目が行く。
でも、観てよかったと思う。
「多系統萎縮症」という
徐々に体の機能が衰え
しまいには食べること、飲むこともできなくなり
最後は、心臓まで働かなくなって、死ぬ。
という病気にかかり、52歳にして
安楽死という死に方を選んだ女性のドキュメンタリーだ。
体が動かないこと。その苦痛。続く苦痛。
そうなったら、死にたいと思うのは当然だろう。
彼女はその苦痛もさることながら
体の機能がだんだん衰えてきて
自分が自分でいられなくなること。
自分がそんな状態で、周りの人にどれだけの犠牲を強いるか
という罪悪感。
なんども自殺を図ったが、その力がなく未遂に終わる。
自分で死ぬことさえできないと、嘆く。
彼女には歳の離れた姉ふたりと歳のあまり違わない妹がいた。
歳の離れた姉たちは、彼女のことを幼少の頃から
わが子のように可愛がっていた。
そして病気になっても、二人は彼女の世話をし、支えていた。
彼女は、ふたりの姉に感謝し、スイスでの安楽死を提案した。
ふたりは、その提案に驚いたものの、彼女が求めるのならということで賛成した。
ふたりの姉は彼女の提案に賛成したものの
スイスに着いても、賛同したことに躊躇していた。
ちなみに下の妹は、最後まで安楽死に反対していた。
病院でも、すぐに安楽死のための用意をすることはしない。
今一度、決意を確かめるために、一日の猶予が与えられる。
そして、翌日彼女は安楽死を決断した。
彼女の手によって、点滴のレバーが開かれ
少しづつ液が落ち始める。
彼女は、徐々に意識が遠のくなか
ふたりの姉に「ありがとう」とはっきり言う。
ふたりの姉は彼女の手をしっかり握りしめる。
まだまだ三人は言葉を交わしたかっただろうが
点滴が落ち始めてから、一分も経たないうちに
彼女は息絶えた。
安楽死は、こんなにもあっけないものかと驚いた。
彼女が死んで一年後
ふたりの姉は桜の下で、語る。
「いまでも安楽死に賛同したことが
よかったのかどうか、わからない。
ただ、最後に妹は『ありがとう』と言ってくれた。
それが、これからの私たちの生きる支えです。」
と清々しく語って、番組は終わった。
「多系統萎縮症」は想像を絶する病気だ。
私はガンだが、自分で食事を摂ることもできるし
トイレにいくこともできる。
体が動かなく、食事を自分で摂ることもできず
やがてしゃべることもできなくなる。
彼女でなくても死にたくなるのは当然だ。
私は、入院していた時
ご主人が同じ病気の人を知っていた。
彼女は私と同じリンパ腫で入院しているにもかかわらず
「多系統萎縮症」のご主人が頻繁に電話してきて
自分の症状を嘆き「死にたい。殺してくれ」と連呼していた。
症状がひどく、最愛の奥さんに嘆きたいのはわかるが
彼女も入院して病気と闘っている。
番組を観ていて、その姿が目に浮かんだ。
人間は、苦しみや死を目前にすると
その本性が露出する。
不安と恐怖におののいて、周りの人に当たり散らす人。
うつ状態になって、自分中に閉じこもる人。
そんな中でも周りの人に感謝を忘れない人。
そのどちらがいいとは、誰もがわからない。
感謝を忘れない人が立派だと拍手するなど
そんな単純なものでもないと思う。
ただ、姉たちに感謝する彼女。
甲斐甲斐しく世話をし、最後まで安楽死に同意したことに
迷っていたお姉さんたち。
その姿に、私は涙があふれた。
人を愛するとは、こういうことなのだ。
と思わずにはいられなかった。