一年前に、入院した頃だったろうか。
私の病室に、ひとりのおばあさんが
入院してきた。
柔和な表情で優しく話す
感じのいい、かわいい人だった。
伴ってきたふたりの娘さんも
お母さんとも仲睦まじく話をしていた。
そんな時、突然お母さんが家に帰ると
言い出した。
お母さんは、ガンの治療のために
入院したのだ。
ただ、お母さんは認知症でもあった。
あ母さんをこよなく愛する娘さんたちは
治療のために、後ろ髪を引かれる思いで
お母さんを入院させたのだ。
重い気持ちを引きずって
ふたりは帰って行った。
その夜から、お母さんの叫びが始まった。
家に帰りたい❗と言い続けた。
ふたりの娘の名前を呼び続けた。
これでは治療ができないので
主治医が、再び娘さんを呼び出し
お母さんへの説得を要請した。
普通なら、治療を優先するために
お母さんを納得させようとするだろう。
だが、娘さんはそうしなかった。
「お母さんを、家に連れ戻します」と。
この言葉には、主治医も驚いた。
「治療は、どうするんですか❗」
「いいです。母が寂しい思いをする姿
を見るのは堪えられない」と。
そうは言っても、いくら愛情があっても
認知症をもつ家族と毎日、顔をつきあわせて
つきあうのは、
愛情という甘い美しい言葉では
片付けられない大変さがある。
それを重々知った上で
しかも経験した上で
一緒に帰ると言う。
主治医は、それでは
医師として、治療もできず
責任を持って
退院させるわけにいかないと
退院を留まるように言う。
最もな話だと思う。
これでは話にならないと
娘さんと医師は面談室で改めて
話をすることになった。
しばらくして医師と娘さんは
病室に戻って来て
あ母さんを連れて、病室を後にして行った。
だが、その時の医師の表情は、
静かで納得したように思われた。
その時、私は思った。
きっと、娘さんたちは
お母さんのほんとうの気持ちを思い
最良の方法として医師を説得したのだろう。
医師も、彼女たちの半端でない気持ちを
くみ取り、退院を許可したのでは
ないかと。
私は、この一連の行動に感動した。
なぜなら、認知症の人を家族にもつのは
大変だ。
私は、家族に認知症の人はいないし
介護経験もない。
それでも、その苦労は想像できる。
きっとおばあさんは、娘さんたちに
溢れんばかりの愛情を注いだのだろう。
また、それを受け取った娘さんたちも
母の愛に満たされ
愛情いっぱいに育ったのだろう。
だから、いまこそ
お母さんが一番望むことを
してあげたかったのだろう。
そして、医師をも説得できたのだろう。
家路に急ぐ3人の後ろ姿が
とても清々しかった。