母はあっさりした人間だが、
喜怒哀楽が乏しいわけではなかった。
思ったことは、はっきり言った。
あまりにも率直すぎて
もう少し、考えてからしゃべってよ!
と、思うことがあるくらい
わかりやすい人だ。

秋に植えたチューリップの球根が
春になって、花が開いた時は
声に出して喜んだ。
その表情は、少女のように
あどけなく、可愛かった。

私の幼少の頃、
我が家は、釜戸で炊いたご飯だった。
朝と夕方に2度炊いていた。
夕方は、いつも釜戸の前で
火の番をする母と肩を並べ
釜戸の上から立ち上る湯気と
吹き零れるお米の
様子を見つめるのが好きだった。
母は、決して無口ではなかったけど
その時は、じっと羽釜を見ていた。
そして、ぽつんと、夕日に染まった空を見上げ
「なんか、さみしいね」とつぶやいた。
あの時、どんな心境で言ったのか、わからないが、私もなんとなく、そんな気持ちになったような気がする。

あれから、ずいぶん過ぎ
私はひとりで暮らした時があった。
ベランダから夕日を眺めると
時々、母の「なんか、さみしいね」の
言葉が聞こえてくる。
そんな時、私はそばにいない母に
「そうやね。母さん」と答えている。
幼少の頃
隣にいた時は、何も思わず、何も考えず
ただ、そうなのかな?と
同調しただけで
答えもしなかったのにね。

母さん、なんかさみしいね💧