根性論者の母に育てられた私は、幼い頃から運動が苦手だった。
正確に言うと、人並みにはできるのだが、すぐに疲れてしまい、呼吸が苦しくなり、喉や胸が死ぬほど痛くなり、動けなくなるのだった。
お察しの良い方はピンと来るだろう。
私は喘息だった。
生まれて40年経って、身体の老いを実感し始め、このままだとこの苦しみで死んでしまうのではないかと思い、呼吸器内科へかかり、初めて自分が喘息であることを知ったのだった。
吸入を始めたら、嘘のように苦しみがなくなった。
足は疲れるがゼィゼィならない。痛みもない。
どこまででも走っていける、まるで羽が生えたよう。
階段も、坂道も。
急いで忘れ物を取りに帰っても大丈夫。
今までの苦しみは一体何だったのか、と、虚しくなったし、解放された喜びもあった。
子供の冬休み、実家に帰省したタイミングのある晩、母に喘息の判明を伝えた。
小学校での体育やマラソンでのトラウマなど、全て喘息のせいだったと。
すかさず母は、「なんでその時苦しいって言わなかったの」と言った。
いや、言ったよ、何度も言った。
そのたびに、根性が無い、もっと頑張りなさい、みんな苦しいのは同じ、と突っぱねてきたのはアナタではないか!
平成初期で、まだまだ厳しかった時代。
親からの連絡がなければ体育を休ませてもらうことも出来なかった。
死にかけながらがんばってきたのに。
こんなにも苦しみに耐えてきたのに。
続けて母が言ったのはこうだった。
「私も胸が苦しくなる」。
始まった。
いつもの「私」話。
なんでも自分の話にすり替えてしまうのである。
私だって走るとすごく胸が痛くなる。
小さい頃からそうだった。
働いていた時は忙し過ぎて病院にも行けなくて、
気付いたら胃潰瘍だらけになっていた。
そんな、「私は根性がある」話を延々と聞かされた。
たった一言で良いのに。
つらかったね、気付いてあげられなくてごめんね。
そう言われるだけで、救われるのに。
母は絶対に言わないし、認めない。
自分だって苦しかったけど、病院なんてこの先も行く気はない。
それで片付けられてしまった。
涙をこらえて私は先に眠っている子供たちのところへ行き、布団にもぐり込んだ。
あーあ。
だから嫌いなんだ。
大嫌い。
母は変わらないんだ。
世の中が令和になっても、母の時は止まったまま、性格も一生アップデートされずに死んでいくんだ。
そして私もまた、一生母に認められることなく死んでいくんだ。
こんな気持ちになるのなら言うんじゃなかった。
ずっとそうやって生きていけばいい。
自分が一番正しく賢い人間だと信じて。
さぞかし幸せな一生を終えるのだろうな。
まさに自己肯定感が高いというやつ。
そう、だから私は、自分で選んだ家族が欲しかったんだ。
帰ろう、新豊洲へ。