おはようございます
内藤です

 

第111回のテーマは「評価」

 

結果が届きました
ドキドキしながら開封
判定をチェック

 

A A A A

 

オールA!!!

 

やはりそうでしょう
まあ当然の結果です


あっ、健康診断ね
毎年会社で受けているんです

 

必要以上の血液を採取され
バリウムという化学物質を飲まされ
おまけ程度の診察を受けるという例のやつです

 

今年もね
健康診断10日前からの
駆け込み健康生活によって
私の健康診断結果はオールAを獲得できました

 

でも油断大敵です

 

ほんとそう
案外BとかC判定がある方が
気を付けるってもんですよね

 

オールAだと
油断して、いきなり大病になるとかも考えられます

 

A判定に驕ることなく
日々健康に気を遣います

 


ところで、このA判定

これは揺るぎないジャッジです

 

数値が決まっていますから

 

血液検査だと
何とかの値が50~200まではA
それ以上500まではB 等々

 

数字なので判断基準が明確
いわば絶対評価です

 

それはそうです

 

これが相対評価だったらちょっと嫌ですよね

 

うわー血液ドロドロ
やばい数値やな
でも受検者30人中では上から3番目だから
Aか・・

 

うわー心電図も意味不明
もはや不整脈
でも上から2番目だから
Aやな


恐ろしいです

健康診断の意味などありません


基本的に判断や評価
それは絶対的であるべきです

 

年齢や性別
国や地域
時代背景
そういうものを考慮に入れることはあっても

他人との比較
何人中何番目などという
相対評価にはやはり問題が内在していると思います


学校の成績なんてほんとそう

 

その学校のその学年の
上から何番目かなんて
何という稚拙な判断基準でしょうか

 

なぜ学校が相対評価を採用しているか

 

先生たち評価する側
評価者が楽だからです


何の主観的な価値基準もなく
集団内での順位を決めればいいだけですからね

 

評価される側にとっても
評価者によって大きな偏りが生じにくいので
変なクレームも出づらくなります

 

一応ね
相対評価の方が
集団内の競争意識が活性化して
集団自体も個人もレベルアップしやすいとか言われています


でもね
人の評価
これはなかなか難しいですが
するのなら絶対評価とすべきでしょう

 

しかし・・
絶対評価が浸透しない一番の理由

 

評価者の能力が圧倒的でないとダメだから

 

これです

 

確かに
健康診断のように数値化出来るものはよいですが
学校や仕事での評価は
数字以外も重要な要素です

 

その場合
絶対的な価値基準
それを持ち得る評価者が必要です

 

評価者の能力に問題があると
評価者の主観や価値観に左右された低レベルなジャッジになりかねません

 

それはそうですよね

 

君の評価はCだ

って言ってきた上司がね
ろくに仕事もしないセクハラ上司とかだったら
誰も納得しない

というか、その評価に意味はない

 

そう考えると
誰もが納得のいく絶対評価など
存在しないのかもしれません

 

ある一つの評価を除いては


誰でも一つだけ
一人だけ納得のいく評価者がいますよね

 

そう

 

自分

 

自分が下した自分の評価

これは何の紛れもなく正当

 

誰に何の言い訳や言い逃れをしようもないし
する必要もない

 

最終的には
自分の評価は自分でして
それで納得がいけばよいのかもしれません

 

ただそれには日頃からね

その判断基準が甘かろうと厳しかろうと
しっかり自分を評価する
自分自身を客観的にも見つめる

そのような態度が不可欠になるでしょうね

 


今日は他人と比べない
自分も他人と比べない
子供も他の子と比べない
そんなことに本質的な意味などない
自分の中に絶対的な価値基準を持つようにしましょう!