2014年6月の話。
<気仙沼線BRT>
【柳津~気仙沼】
志津川駅を出発。カーブを描いているのは気仙沼線跡を利用したBRT専用道。
バスは志津川の市街地へと戻る。辺りにはほとんど何もない。志津川湾の奥にある志津川市街地は低地が多く、津波による被害が甚大な場所。
街の復興のために一旦市街地部分を高台に移転している状況。右端の信号機の後ろにある鉄骨は南三陸町防災対策庁舎跡。こちらは震災遺構として県が保有している。信号機の下にある看板に記載された『南三陸さんさん商店街』は2021年5月現在はこの写真の左手の川の向こうに移設されている。
市街地を流れる八幡川に架かる中橋を渡る。街の復興計画に伴いこの橋は撤去されている。
写真中央の山の上には震災後の避難所となった南三陸町立志津川中学校が見える。
2014年6月当時はまだ街の嵩上工事中。
それと更地となっている箇所ばかりだった。
市街地を抜け、仮設の国道45号線に戻る。左奥に仮設のセブンイレブンが見える。
写真中央奥では南三陸道路(現三陸自動車道)が津波の被害を受けないよう内陸に建設されていた。またこの辺りまで通ってきた道路は街の復興計画に伴い現在は移設されているところが多く、同じ道路を辿ることはほぼできない。
国道を跨ぐ橋は気仙沼線跡を利用したBRT専用道。
南三陸道路の建設中。2021年3月に三陸自動車道として全線開通している。
国道から外れ、高台にある南三陸町総合体育館(ベイサイドマリーナ)の前を通る。
ベイサイドマリーナ駅に到着。高台であるこの周辺に南三陸町役場や後に南三陸病院(2015年12月)が移設され、2018年7月に「南三陸町役場・病院前」駅へと変更し、バス停が病院の構内ロータリ内に移設された。
再び国道に戻る。国道を跨ぐのは気仙沼線の橋の跡。
道路橋も流失しているため、う回路を進む。
う回路から見える“ありがとう”の文字。
歌津駅に到着する。この辺りも津波の被害を受け、気仙沼線の築堤は残ったものの駅舎や周りの家屋などは消失している。
歌津駅駅舎があった場所にバス停が設置されている。このバス停は専用道整備後の2019年6月に移設され、現在はない。
<つづく>