「彼女ら」に話を聞くことができれば、ある程度の事情を把握することはできるかもしれないが――
それだって、それが本当のことなのかどうか、わかるはずがないのだった。

――あるのは真実ではなく認識なのだ。――

そしてそれで十分なのかもしれない。

観測者にとってのみ意味を持つ。
観測者によって意味が違う。
観測者同士にとっての意味が一致しない。

ハイレベルな話が
低レベルな事態に陥っているようだけれど、
私にはまったく関係のないこと・・・
むしろ、このことを非難し問題視している人達にとってどれだけ被害があり、損害が出たかわからない。
それより、この問題に関係のない人々が事態をここまで悪化させたのではないか、

そんな切ない思いをここに書くことにより散香させよう。



人が涙を流して泣く時は、美しいモノを見たトキだ。
それはどんな時でも例外はない。


私にとって貴女の現実は仮想であって
貴女にとっての仮想はリアルであり
私にとって貴女は仮想の存在であって
貴女にとっても私は仮想の存在なのだろう。
貴女は仮想の存在だが、それが現実であり、
貴女の現実の存在でも、あくまでも私にとっては仮想なのだ。
仮にリアルで会ったとしても、貴女は仮想であり、私もバーチャルだ。
しかし、貴女はリアルに存在しているし、私は貴女の仮想の中に現実として生きている。
あなたに起こった出来事は私にとって、仮想であり、私の出来事も貴女にとって仮想なわけであり
その仮想こそが貴女の現実なのだ。